首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

訳のわからん面白さの残虐映画。

御無沙汰しています。
周辺に色々面倒くさいことが起こり、気力消耗、体力消耗、さんざんな新年でした。
でも、去年年末のおバカ映画(観る人によっては不謹慎な爆笑の起こる)の一本について書き終えていなかったので簡単に感想を……
イングロリアス・バスターズ」……タランティーノという、才能のあるといわれる監督で、世界中に熱狂的フアンがいて、かつ、色々な国の映画賞もとっている監督の作品です。
日本では、映画が始まってから三分の一で面白くなくて劇場から出ていく人には、入場料をお返ししますという宣伝で話題になりました。
本編中にも「俺の最高傑作だ」という台詞が出てきます。
確かに、アクションが始まる前のやたらに観客をじらす演出やトリッキーな脚本は、映画マニアがよだれをたらすだろうと思うほどに上手い。
基本はナチスドイツにユダヤ人の家族を虐殺された美女がナチスに復讐する話に、普通のストーリーなら、ナチスなら誰でも殺しちゃえというヒットラーさえ恐れる「殺し屋部隊」がからむという筈が、ちっとも絡まないという……そこが、観客を肩透かしさせ、それでも、面白くみせるという確信的トリッキー映画です。つまり、二つの話が別々に進行していて、最後まで二つの話は絡まないが、結果的にヒットラーをはじめナチスの大幹部たちを皆殺しする点だけ一致する面白さ(その為に、われわれの知る歴史を改ざんしても、映画的面白さを優先させて平気です)
どうだ、面白いだろう……という自慢気な顔が浮かぶような気がします。面白くするためのテクニックは確かに上手い。
しかし、この映画、それだけなんですよね。
正と悪の戦いを描く時、悪が強ければ強いほど、面白くなります。だから、ユダヤ人狩りをする敵役が、やたら、紳士的でクールでかっこいい。
ほとんど、この人が、主役に見えてきます。ドイツの俳優が気持ちよさそうに演じます。上手い俳優です。
正は、結局勝つのですから単なる正義の味方ではなく、多少、汚れて間抜けな部分を持った方が、ストーリー展開が面白くなります。ハリウッドの人気スターがやりたそうな役です。
 結果、ドイツの俳優に完全に食われてしまいました。
この監督、面白さ優先の為に、ちょっと調子に乗りすぎたのでしょうか?。
この映画が、ならず者のだましあいや、ギャング団の抗争が題材ならば、それでもよかったでしょう。
ところが、この映画、反ナチスナチスの戦争を舞台にしています。
この映画、ナチスは悪い、ユダヤ人はかわいそうというアメリカ映画の常識を前提で作られている。
でも、いくら娯楽映画でも悪いやつは、やっつけられて当然は乱暴すぎます。
人のいい好感度の高いナチスの青年が出てきますが美女はなにがなんでも復讐の鬼の姿勢を変えません。「殺し屋部隊」は殺すことにしか喜びを感じない殺人鬼集団にしか見えない。
で、もって、復讐される側の悪は、頭が良くて格好いい。ついでに、好感度の高い青年も出てくる。悪の筈のナチスドイツ兵が、同僚の結婚をお祝いする善良な兵士たちに見える地下酒場のシーンも出てきます。
 しかし、この映画においては基本的に悪の集団ですから、そんなドイツ兵を容赦なく殺します。
クライマックスは、パリの映画館ですが、そこに集まるヒットラーナチスの上層部も、映画好きの人のいい紳士的なおっさんおばさんにしか見えかねません。そもそもナチスドイツ占領下のパリです。レジスタンス(抵抗運動)も盛んです。そんなパリのしかも、さして大きくもない映画館にナチスの上層部が映画を観に来るはずがありません。危ないじゃないですか。
ここいら、「この人がヒットラーですよ」なんてタイトルで人物説明してくれます。
この監督にとってはブラックなユーモアのつもりかもしれません。
ドイツの国民的英雄である狙撃兵(先ほど書いた好感度の高い青年です)を主役にしたドイツ国策映画を、ドイツ人観客は大喝采を送ります。
狙撃兵が連合軍をバタバタ撃ち殺す映画ですが、この映画館で写される上映映画の戦闘シーンが、もしかしたら、この映画で一番歯切れのいい演出シーンかもしれません。
スピルバーグの「プライベートライアン」の市街戦シーンなんかにゃ負けないぜ」とこの監督は言いたげです。
当時のドイツ人からすれば、正しいのはドイツですから、映画の出来が良ければよいほど大喜びです。
で、そこにイタリア人に化けたイタリア語をろくにしゃべれない「殺し屋部隊」が潜入し、といっても、教養のあるユダヤ人狩りの敵役に「アメリカ人は英語しか喋れないのか?」という皮肉を言われます。完全にばれています。
ここいらは、ユーモラスな演出が、笑わせてくれます。
 で、可燃性のフイルムや「殺し屋部隊」のほとんどテロ的無茶攻撃で映画館ごとドイツ人を大虐殺……
 いくらなんでもドイツ人がかわいそうに見えます。
 地球の事情を知らない宇宙人がこの映画を観たら、残虐な連中が、善良な人たちを虐殺する残酷映画と思うかもしれません。
 この監督、それほどナチスドイツを憎悪しているということなのでしょうか?
 それとも、いくら、敵が悪くても、ここまでやったらおバカでやりすぎだよ。という今のアメリカの中東政策を揶揄しているのでしょうか?
 僕には、そうは思えませんでした。
 映画マニアを喜ばす為だけのタランティーノ流傑作演出脚本総集編にしか思えません。
 本人も相当の映画オタクだそうで、過去の映画(それもB級)からのパロディシーンやBGM引用が頻繁に出てきて、知っている人には分かり、思わずニンマリさせてくれる仕掛けになっています。
 この監督の映画への尋常でない愛を感じると言う人もいますが、映画を愛する人ナチスへの復讐の為とはいえ、ドイツ人を虐殺する場所に、映画館を選ぶんでしょうかね。
 なんか変です。ゆがんでいます。
 この監督の脚本の才能と演出能力が優れていることは分かります。だから「こんなところをこんな演出してらあ」と観ていて笑っちゃいます。
 けれど、その才能を、戦争素材のこんな映画に使っていいのか。何かが欠落しています。
 オタクの道楽、無駄づかい。爆笑するけれど不謹慎。それをこの監督は意識しているのかいないのか。
 ちょっと不気味で、この人の作った映画を観るのはいいが、個人的には、あんまりお付き合いしたくない感じがします。
 では……