首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

深夜のチンパンジー

僕のような物を書く仕事をしていると、一日中、仕事場にこもって、外に出ない日もある。
 不健康きわまりないから、無理をしてでも、外に出て散歩をする。
 いつも決めているコースが渋谷に五つほどあって、そのコースを、日替わりで回るのである。
 今日のコースは、最もポピュラーなコースで、渋谷一日観光コースとして、他の人にもお勧めできるコースである。僕の仕事場は、そのコースの途中にあるから、説明するには、渋谷駅から始めるのが一番分かりやすい。
 渋谷駅から公園通りを上がってNHKまで行き、(途中、レンタルビデオのツタヤがあり、パルコがある)そこから方向を変え、松涛町の松涛公園を目指す、
 騒音に満ちた街が、これが渋谷のど真ん中かと、はしめて訪れた人は呆然となるほど落ち着いた住宅街に変わる。
 そんな住宅街の中に陶磁器の博物館や、お能の劇場がある。
 このコースは渋谷区が、目安になりそうなところに、小さなモニュメントを作ってくれているから、それに従えばいい。
 公園に行く途中に中学校があるが、これが在校生が数十人しかいないのに校舎は三つもあり、生徒の数より、先生の数の方が多いと噂されている松涛中学校である。
 僕が通っていた戦後のベビーブームの頃は千人を超す生徒がいたから、入れ物が大きいのは仕方がないが、今の生徒数とのアンバランスさは驚異的である。。
 言い方を変えれば子供の数が少なくなった渋谷のど真ん中で、頑張って生き残っている貴重な中学校である。
 その先に、今は桜が咲き乱れている小さな公園があるが、それが松涛公園である。
 その近くに僕の仕事場があるから、僕の場合は、松涛公園が散歩コースの始まりになる。
 公園で一休みしたら、松涛美術館でも覗いて、また方向を変えて、渋谷駅に向かって歩き始める。
 あれよあれよと言う間に、街の姿は変貌し、都内でも有数のラブ・ホテル街、円山町の入り口にたどり着く。
 そこで、道草を食う相手など僕にはいないから、円山町を横目で、見ながら、まっすぐ歩くと、東急の文化村が現れる。
 文化村から渋谷駅までの通りを文化村通りと今は呼ぶそうである。
 そこはドン・キホーテもある、みんなが知っている若者の街……がやがやぐちゃぐちゃの渋谷である。
 渋谷駅から歩いて渋谷駅に戻ってくるまで、およそ二時間……色々な店で寄り道すれば、一日がかり……それを、一時間で散歩する。
 途中で必ずバナナを買う。
 昼と夜の食事用である。
 バナナは栄養の採れたバランス食だと言う伝説を、いまだに信じているのである。
 仕事に熱中すると、物が口に入らなくなる。
 散歩途中で食事をする気もしなくなる。
 仕事の事で、頭がいっぱいだから、いわゆる名店の味の美味い不味いも分からない。
 そんな店にいっても、食事をする時間が無駄に思える。
 だから、散歩を終えるとすぐに、部屋に閉じこもる。
 バナナだけが命綱である。
 仕事が忙しくなると、昼も夜もなく、散歩の時間も夜も昼もない。
 深夜の三時・四時でも、気がつけば散歩する。
 渋谷は不夜城である。
 住宅街以外はいつでも人があふれている。
 深夜のコンビニでバナナを買って、街を散歩している男を、不審がる人もいない。
 夜の住宅街を警備している警官たちも、そんな僕に慣れたのか不審尋問を受けなくなった。
 でも、そんな自分を、バナナを持って回遊するチンパンジーだなと、たまに思う時もある。