首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

22世紀、正統派ロボットアニメ

 先日の打ち合わせで、 今書いているロボット物の脚本が、やっと五話目にさしかかった。
 この作品は二十二世紀を舞台にしている。
 そこが、難しいところである。と言うより、わざと難しくした。
 二十二世紀を舞台にしたアニメなど、いくらでもあるだろうと思われるだろうが、背景や風俗。科学や兵器の進歩が二十二世紀でも、人間が二十二世紀的感覚を持っている作品は少ないのではないか?。
 殆どの作品の登場人物が、未来ではなく現代の感性で登場していると思う。
 百年後の人間が、果たして、現代の人間と同じ感覚で生きているだろうか……
 例えば、百年前の明治後期、大正時代の人達が、今の平成の人たちの感性を、想像出来ただろうか?
 今回は、少しそこらを、こだわって描いて見ようと思っている。
 そこで描かれている登場人物が、視聴者にどう受け止められるか……興味深い。
 勿論、二十二世紀の人間の感性なんて、僕の想像でしかないし、見かけは、1970年代から1980年代初めの、アニメのロボット物の正道を装っている。
 悩み多き、ひねった性格の人間は、出さないつもりだ。
 陰うつな話にするつもりもない。
 むしろ、ライトな、コメディタッチに見えるかも知れない。
 ただし、登場人物の感性は未来感覚のつもりである。
 たとえば、22世紀の日本は、すでに老齢化社会は終りを告げ、むしろ若年化し平均寿命は、50才代……法律上15才で成人になる設定にしている。
 少子化で、子供は今よりずーっと少ない。
 その分、ハイティーンの精神年齢は、現代よりかなり高い。
 百年後の日本は、世界のどこの国からも相手にされない三等国である。
 理由は、いろいろあるが、平成の現代ですら、そろそろ、落ち目街道の日本である。
 三等国になっても、不思議はないだろう。
 そんな百年後の時代の正統派?ロボット物……「やってやるぜ!」が、本当に、やって見せることができるか……僕自身も楽しみにしている。
 あ……、男性の主人公も二人ほど出てくるが、全体的に女性上位になりそうな作品なので「やってやるぜ」ではなく「やってやるわ!」かもしれない。