首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

「デスノート」の代りに見た二本の日本映画

 月曜火曜は、小説やテレビのロボット物の原稿で徹夜をして、頭も体もふらふらだった。
 ひと区切りついたところで、一眠りしてから気分をかえようと、何も考えずに済みそうな軽い映画でも見ようと街に出た。
デスノート」の続編を見ようとしたら、満席で入れないという。
 仕方がないので、同じ建物でやっていた「地下鉄に乗って」という映画を見た。
 客席は、がらがらだった。
 簡単に言えば、日頃、傲慢な父親を毛嫌いしていた息子が、タイムスリップして、父親の若い頃の姿を見て、父親の良さを見直すと言った話だが、タイムスリップする時代や場所が、ストーリーに都合が良すぎ、強引で、僕にはついて行けなかった。
 登場人物の人間関係も、強引である。
 ともかく、作り手の勝手に、都合よく出来過ぎている。
 そのくせ、何を言いたいのかさっぱり分からない映画になっていた。
 映画を見ている僕が、この映画の舞台になる地下道の複雑な地下鉄の永田町の駅で、迷っているような、ちんぷんかんぷんな気分にさせられた。
 なぜか主人公は不倫をしており、その相手が、なんと、異母兄弟の関係だったというのが、タイムスリップで分かるというこれまた強引なエピソードがあり、本来のテーマより、「不倫をすると、相手がかわいそうだよ」という別のテーマで強引にストーリーをまとめたような奇妙な展開である。
 作り手達はいったい、このタイムスリップ物で、何を描きたかったのだろう。
 原作を読んでいないから分からないが、少なくとも映画は、????である。
 首をひねりながら、もやもやした気分で、劇場を出てきたので、口直しのつもりで、再度、「デスノート」を見ようと思ったら、やっぱり、満席。次の回も、立ち見になるという。
 「デスノート」の前作は、すでに見ていたが、そこそこの面白さはあったものの、続編がこんなに人気になるとは、いささか、驚きである。
 結局、「デスノート」はあきらめて、「地下鉄に乗って」の口直しに、「七月二十四日通りのクリスマス」を見た。
 これがまた、数十年前の少女マンガのような、ベタに甘いラブコメディで、今時、こんな映画を作ってなんのつもりだ……という出来だった。
 客席はがらがら……「電車男」や「嫌われ松子の一生」で、あれだけよかった中谷美紀さんも、一生懸命やっているのは分かるのだが、こんな他愛ない内容では空回りするばかり……まるで柄にあっていない。
 作り手は軽いラブコメディのつもりだろうが、こちらは疲れるばかりである。
デスノート」満席のせいで、ついつい見てしまった「地下鉄に乗って」と「七月二十四日通りのクリスマス」……家で寝ていた方がよかった。
これで、いつか見るだろう「デスノート」の続編がつまらなかったら、当分、日本映画を劇場で観るのは敬遠しようと思いたくなる一日だった。