首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

パリ「ペールラシューズ」の桜

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旅から帰ってきた。行き先は「パリ」だった。
 十日間近くパリ市内を歩き回って、いささかバテ気味である。
 今回の旅は、去年十一歳の娘が、パリのルーブル美術館の展示物の感想を募集したコンクールに詩を書いて、グランプリを取り、両親同伴でパリに招待された事がきっかけである。
 娘の作品は、グラン・ルーブル・オーブル・ジャパンという HPに載っている。
 十一歳の子供のお陰でパリに行くというのも、いささか恥ずかしいような奇妙な気分だが、両親同伴という事もあって、娘の春休みを待って付き合う事にした。
 僕自身は、昔、貧乏旅行で、四・五ヶ月、ヨーロッパをさ迷った時に、一ヶ月以上、
セーヌ川左岸の超安ホテルで、過ごした事がある。
 カルチェラタンのあたりである。
 そこの、一ヶ月は、貧乏旅行の日本人ということと、当時のフランス人の外国人無視が露骨で、あまり印象のいいものではなかった。
 お金を持っている日本人と女性には、えらく親切だが、金のない東洋人は、全く無視という感じだった。
 なんだかそれが、僕のトラウマになって、それ以来、何度かヨーロッパには行ったが、パリは中継点に過ぎず、ヴェルサイユにはいったが、パリ市内には、足を踏み入れなかった。
 だが、今回、パリ市内に行って、時代が変わったのだろうか、パリの人たちが東洋人をふくむ外国人にやたら親切なのに驚いた。
 そして、フランからユーロに変って、やたら物価が高いのも驚いた。
 もっとも、それは、円やドルより、ユーロが強い事も影響しているのだろう。
 パリでのお決まりの観光地は、妻や娘にとっては初めてだが、僕にとっては、すでに行った事のある場所だったので、招待された以上、行かなくてはならないルーブル美術館をのぞいては、僕自身が書きたい仕事に関係する場所を中心にして、ルーブルとパリ観光中心の妻と娘とは違う場所を歩きまわった。
  妻と娘の観光案内は、パリに七回も行った経験のある義理の妹が、付き添ってくれたから安心だった。
 僕が歩き回ったのは、主にセーヌ左岸と、パリで十九世紀の後半に起こった「パり・コミューン」という歴史的事件に関連する場所だ。
 この事件を背景にした「巴里のイザベル」というオリジナルアニメを三十年以上前に書いたことがあって、最近DVDになって、やっと発売されたが、発売元が、「パリ・コミューン」を知らなかったのかもしれないが、「フランス革命」を背景にしたアニメとして宣伝されてがっくりした。
 もっとも、「巴里のイザベル」は、「パリ・コミューン」から「ロシア革命」を経て、ソ連的な共産主義の崩壊までを背景にした、幾世代にもわたる大河ドラマのほんのプロローグにすぎず、更にアニメを意識した小学生高学年にも分かりやすいむしろ中高学生向きの作品だったので、本来、僕の書きたかったエンターテインメント作品とは、多少趣が違う。
 この作品の全体像は、僕の手に余るほど大きいので、僕が生きているうちに完成するかどうかわからない。むしろ未完に終わる可能性が強いかもしれないが、それでも、一応、取材も兼ねて、「パリ・コミューン」の関連する場所は、歩いてみた。
 更に、「戦国魔神ゴーショーグン」の小説の最終回にあたる作品も、ヒロインのレミーという女性が若い頃過ごした所が二十一世紀初頭のパリということもあって、その雰囲気を確認する為に、パリの下町を歩き回った。
 本来なら、パリの下町の安ホテルでも借りて、一ヶ月以上街をあるきまわるべきなのだろうが、そうも行かず、東京に帰ってきた。
 歳のせいか、今も時差ボケでぼんやりしている。
 写真は「パリ・コミューン」の人々が最後に追いつめられ、銃殺された「ペール・ラシューズ」の墓地の壁の近くに咲いていた桜である。
 パリの墓地に、桜が咲いているのは珍しいと思い写真に撮ってみた。