首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

小田原に行ったこと

 体調を崩して入院などしたら、やたらと、やらなければならない事がたまって、気は焦れど、なかなか仕事がはかどらない。
 で、このブログも開店休業状態になってしまった。
 そんな中、先日、久しぶりに一泊二日で小田原に行った。
 これも、入院などで、すでに決めていた予定をずらしていただいたものだ。
主な目的は、ある会合に出席することと、僕が過去18年住んでいた小田原から東京に来る際に、小田原市立図書館に寄贈させていただいた形になっている僕の脚本を含めた様々な資料の整理がほぼ終わり、その公開の仕方など、どうすればいいか、図書館関係の方達と相談することだった。
 いままで、僕が書いてきたもののほとんどが、小田原市立図書館に保管されているのだが、とても、丁寧に扱ってくださっていて有難かった。
 言うまでもなく、市立図書館は、小田原市が管理している。
 で、どういうわけか、小田原市庁に、お招きいただいて、小田原市長とお会いすることになった。
 時間刻みだろう市長のスケジュールを割いての、お招きである。
 恐縮すると同時に、相手は、かたいお役所である。
「あ……名刺が必要だ」
 いつもは持ち歩かない名刺を、十数枚用意したが、案の定、様々な役職の方と御挨拶しているうちに、ほとんど、無くなった。
 堅苦しいのは苦手だなあ……と思っていたが、型どおりの名刺のやり取りはあるものの、意外と、皆さん、きさくである。
 それもそのはず、お会いした市長の第一印象は、明るく、きさくで、かつ、エネルギッシュなものを感じた。
 小田原は歴史の古い土地で、なんとなく保守的で停滞した感じのするところだったが、役所の雰囲気が僕の予想していたものと違っていたのは、この市長の影響もあるのかもしれない。
 この方、今年の選挙で新市長になったばかりで、僕より一回り下の年齢である。
 小田原の市民は、旧態を打ち破る若い力に市の未来を託そうと思ったのだろう。
 市長さんは当然、アニメにも興味があって、僕との話題は、ほぼ、それが中心だったが、僕が市長さんと話している間考えていたことは、この市長さんの年齢の頃、僕は、何をやっていたのだろうかということである。
 知らない方が多いだろうが「アイドル天使ようこそようこ」「ミンキーモモ2」NHKBSの「超くせになりそう」等の、それまでのアニメにないタイプの作品を、夢中になって作っていた。
 どれも、当時としては、型破りな作品だったと思う。
 当時のTVアニメの状況、事情を知りつつも、脚本の方向から、アニメに新しい風を吹き込ませようとむきになっていた。
 新人の世間知らずのペーペーではなく、それが出来そうな位置にいたことも確かである。
 そんな型破りなアニメを、作りたがっている協調者がいたことも恵まれてた。
 ともかく、それまでのアニメに新しいものを加えようと熱中していた。
 当然、保守的な反対もあったろうが、聞こえなかったというか、聞かなかった。
 それが、今のアニメにどう影響しているかは分からない。
 あまり、効果が無かったような気もする。
 しかし、良くも悪くも僕の人生で、アニメに対してエネルギッシュだった時期だったことは確かだ。
 市長と脚本家。
 人口20万の都市とアニメ、比較ができないのは分かり切っている。
 地方都市には、それぞれの都市の抱える問題、いろいろなしがらみや裏事情があるだろう。
 若いということへの風当たりも強いだろう。
 しかし、なにかをしようと思った時、そのエネルギーは出せる年齢である。
 なにより、小田原市に対して何かが出来る立場にいる。
 なおかつ、人の気持ちに響く何かをこの方は持っている気がする。
 そして、きっとなにかをするだろう。
 そんな魅力のようなものを僕は、この市長さんに感じた。
 僕は、小田原が好きである。
 しかし、そんなことより、わずかな時間ではあるが、全く畑違いに思える人で、好ましいインパクトのある歳下の人物に出会えたのは久しぶりで、なんとなくまぶしくもあり実に楽しかった。
 もちろん、図書館関係の方達の、僕に対する様々な御配慮、御親切には、感謝、あまりあるものがある。
 小田原の漁港、早川はなつかしく、6歳まで、ここの海を見ながら生まれ育った娘と一緒に、いつかもう一度、波打ち際を歩いてみたい。
 もっとも、「パパと行くぐらいなら、ボーイフレンドといくわ」と言われるのが落ちかもしれないが……