首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

アニメって不自然?

いまさらですが、病気退院に励ましのコメントを下さった方達に、この場で、お礼申し上げます。
 さて……
今になっては、一週間以上前のことだが、小田原に行った時のことである。
「小田原の文学」について語り合う会に出席した。
 そこで、アニメについての話題になったが、年配の方から「アニメは動きが不自然で苦手だ」という素朴と言えば素朴なご指摘があった。
 映画は、1秒間に24枚の絵や写真を(ビデオやテレビは違うが、まあ似たようなものである)立て続けに見せて、それを見る人の残像現象で補正して、動いているように見せるものである。……等という基本的な事から説明していたら、喋っている僕自身が、「確かに映画やテレビって不自然だな」と思いだして、それが頭からいまだに離れない
 誰が決めたか知らないが、映画は1秒間を24コマで表現する。
 だが、例えば24分の一秒のシャッタースピードのカメラで、被写体が動いているものを写せば、必ずぶれて写る。
 正確さを要求すれば、1000分の一秒でも、ぶれている。
 実写映画の場合、1秒間で24コマのフイルムが使われるわけだが、そのフイルムの一コマ一コマに写っているものは良く見ればぶれている筈だ。
 アニメは、静止した絵を、少しずつ動かして描いて、いわゆるフルアニメーションでも1秒に24枚使って、動いているように見せている訳である。
 日本のアニメの現実は、フルアニメーションはあまりないから、一秒間に24枚必要な絵を、節約して24枚以下の適当な枚数で動いているように見せている。
 少ない枚数でいかに動いているように見せるかは、ご予算の問題もあるし、アニメクリエーターの技量にもかかっている。
 もちろん、コンピューターなどを使って、1秒間に使う枚数をいろいろ変える事が出来る時代にはなっている。
 コンピューターにしろ手書きにしろ描かれた絵の連続だから、現実にはありえない動きを、誇張して見せる事もできる。
 時として、それは芸術的と評価される。
 海外ではアニメを現実に近い動きにしようとして、ロトスコープなどという技法も古くから使われている。
 ロトスコープを説明すると長くなるから、興味があれば検索して調べてください。
 でも、どんなやり方を使おうと、「動きが不自然……」と言われれば、不自然には違いない。
 ものの動きに敏感な人なら、実写の映画の画面ですら不自然に感じるだろう。
 写っているものの一枚一枚がぶれていたとしても所詮は一秒間に24枚のフイルムが、目の前を通り過ぎて行くだけである。
 動き以外でも、画像の鮮明さ……ハイビジョンなんていっても、写っているものの本物とは違う。
 ハイビジョンのことまで言いだすときりがなくなるので止めておく。
 つまり、映像は、本物じゃないのである。
 映像の動きが自然な筈がないのである。
 実写ですら不自然なのだから、アニメの動きが自然なわけがない。
 「そう言うことですから、よろしく」で、大人には納得していただくにしても、子供にはどうだろう。
 今の人たちは、生まれたときから、すぐそばにテレビという映像があった。
 子供……特に幼児は動くものに敏感である。
 そして、なんでもかんでも吸収して育っていく。
 アニメは昔から子供の見るものとされてきた。
 しかし、その動きは、不自然な動きである。
 土台が絵なんだから、子供の目に見える姿形も不自然である。
 子供はそんな不自然なものを、当たり前と思って育っていはしないか?。
 そんな育ち方をした子供達は、今や、上は50代を超えているだろう。
 芸術的アニメ、良質なアニメ、どんないい方をされようと、アニメ、いやアニメに限らず映像はどんな撮り方をしようと不自然には違いないのである。
 で、主にアニメの製作に関わった仕事で生きてきた僕である。
 たぶん、それで僕の人生は終わるかもしれない。
 「アニメは動きが不自然で苦手だ」
 年配の方のおっしゃる事は、ごもっともだと思う。
 「これでいいのだ」と、赤塚不二夫氏の漫画の台詞のように言いきれない自分……かなり考え込んでしまっている今日この頃である。