首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない

書く書くと言っていた(ホッタラケの島」の感想じゃなくてごめんなさい。
渋谷の街を歩いていたら、ちょうどこの長い題名の映画の上映開始時間に映画館の入っているビルの前を通りかかったので、ふらふらと引き込まれるようにこの映画を見てしまいました。
予告編は見ていました。で、おバカなお仕事コメディかと思っていたら、まあ、コメディ風ではあるのですが、テーマは社会の格差の矛盾をを結構真面目なつもりで描いたような、僕にとっては、困った映画でした。
映画として、けっしてつまらないとは思わないのですが、主人公が「もう限界だ」と思う状況に説得力がないんです。かといって、この程度の不幸で「限界」を感じる主人公のバカさ加減を笑い飛ばす喜劇にもなりきれていない。
 確かに今の世の中、不況で、不景気、就職難の時代です。
 しかし、それは、ネクタイを締めたサラリーマンとして就職するレベルの就職難で、生死にかかわる食うに困った状況での就職難ではないんですよね。
 ブラック会社といったって、この人の勤めている会社、現代の不況化の中小会社じゃ普通よりちょいと待遇が悪い程度のものだと思います。労働基準法は守られていないかもしれないが、とんかつ定食を食べ
……ちなみに、僕の子供の時は、豚のひき肉がかすかに入ったカレーライスが週に一度の御馳走でした……とんかつ定食と同時にこの主人公、同僚と宴会らしきものを開き酒を飲めるだけの給料はもらえるんです。
主人公の勤めている会社はことさらブラック会社と呼ぶほどひどくはないと僕には思えます。
 明日どうなるか分からない、物書きと言う自由業の僕より不安度は軽い。自由業は、仕事がお金にならなければ、無職と同じですからね。
 この主人公、全国の日雇い肉体労働者諸君や、生きていくためにやりたくもない売春まがいの水商売をしなければならない女性たちほど追い詰められているわけではないんです。
 そんな仕事は違法パスポートまでとって日本で仕事をしたい外国人にやらせて、自分に似合っていると思い込んでいる仕事(いわゆるきれいな仕事)につくという範囲の中で、限界を感じているに過ぎないわけです。
  
 この主人公、中卒で義務教育はちゃんと受けていて、いじめがあったかどうか知らないが、家庭には高校も大学も卒業させる財力もあっただろうに、高校を自分で中退する。これ、かわいそうと言えますか? 大學出身が50パーセント近い現代で、自分の中学卒をコンプレックスに感じるのは自業自得……身勝手で贅沢なコンプレックスです。さらに食うに困らず親がかりで7年間もニート……7年もニートできるなんて、そうとうユーフクな暮らしをしてきて、しかもまだまだ若い。うらやましい限りです。
 しかも、就職しようとする理由が、息子の就職を望んでいたが突然亡くなったお母さんを喜ばせたいからです。なんじゃ? 自分が生きる死ぬ、家族を食べさせる……とかいう切羽詰まったものではないんですよね。
 余談かもしれませんが、家のないホームレスさえ、飢え死にすることはめったにない現代の日本です。
 戦争も六十年以上ない。
そんな現代の日本に生まれてきたことが奇跡的ともいえる幸運なのに、そんな国での仕事に不満を持って「俺は、限界だあ~」なんて、それを見せられて同情しろと言われても困りますよ。
その上、この主人公、家もある。自分の部屋もある。パソコンも持っている。仕事に疲れ果てたといってもインターネットの2チャンネルに愚痴を書きこむ気力は温存している。
 おまけに三国志のフアンらしく……三国志はマンガから小説までいろいろあって……事実、主人公の本棚に並んでいます……そのなかでも主人公のイメージシーンの登場人物像からするとどうやら最近の大作映画「レッドクリフ」を意識しているようです。
映画かDVDで見たんでしょうが、どんなに忙しくても三国志の映画を見る時間は作るんですよね。
ついでに、同僚だか先輩は、アニメのガンダムおたくでフィギュアを集めている。
女性派遣社員は、婚活の男漁りの為に会社を渡り歩いているような女の子のようです。
 つまり、この映画におけるブラック会社は、僕の世代とは違うレベルのブラックなのです。
 世界中から、勤勉で、ワークホリックと呼ばれ、ある意味恐れられた昔の日本人とは違います。
 バブル時代の裕福すぎたころの日本の会社から比べたら、確かに、主人公の勤めている会社はブラックに感じるのでしょう。
 でも、そんな会社に勤めてこき使われて、「限界だ~」と感じていたら、日本は確実に、変貌激しい世界情勢から落ちこぼれるでしょう。
 基本、今の日本人は若い時から何かをやってやるという意欲をなくしているんでしょうか? 
 三国志が好きなら、そこに登場する英雄たちのだれかに自分をあてはめてイメージすればいいのに、主人公は、自分を一介の一兵卒にしかイメージできません。
 途中から学歴のいい(といったって、たかだか早稲田ですが……)脇役が入社しますが、その理由が、ブラック会社ならできの悪い社員ばかりだから、優秀な自分は簡単に会社のトップになれるだろうです……せこい。
 こんな社員連中を集めて、こき使って使い捨てでかまわない考えのこの会社の社長もせこい。
 そんな日本の会社、特にIT企業の体質を糾弾するのが、この映画のテーマだとしたら、それもなんだか、せこい映画な気がします。もっとなんか他のテーマはないの? なんだか見たら元気になるような映画。
 最近、こういう脱力系の日本映画が目立ちます。人が死んで泣ける(僕は泣けないけど……)映画もあきちゃったし……純愛と非行と不幸と自殺ならなんでもありのケータイ小説風映画もなんかうざいし……
 この映画の監督の作品「キサラギ」という映画も、つまらなくはないけれど、だから、なんなの?……という映画だった気がします。
 ま、しょうがないか……良きにしろ悪しきにしろこういう映画を好む日本の現代の世代を育てたのは、戦後生まれの僕たちなのだから、……責任取れと言われたって……責任取る気もないしね……
 では……