首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

「嫌われ松子の一生」と「夢見るモモの一生」?

 知人から、首藤さんなら、「絶対、気に入るよ」と言われた映画「嫌われ松子の一生」を見た。
  一昨年見て、相当面白かった「下妻物語」の監督が、映画「電車男」で、僕が個人的に注目していた中谷美紀さんを主役にして、本来なら悲惨この上ない女性の一生を、ミュージカル・コメディ風に、思いっきりはっちゃけて描いた怪作だが、知人の言う通り、おそらく僕が今年、見た映画での中で、最高の傑作だと思う。
 何より凄いのは、不幸な女性の人生を、はじけた面白さで語りながら、しっかり、戦後の昭和にまで、目配りしている事だ。
 女の一生をジェットコースターのように描きつつ、主人公がいつも、ぶら下げている薄汚れた、大阪万博のテーマ塔のマスコットのように、主人公が生き続けた時代から、目を離していない。
 この映画の素晴らしさについては、多分、色々な所で語られるだろうから、僕が今更、絶賛する必要はないと思うが、ただ、この映画のフィナーレ(エンド・クレジット前)の素晴らしさは、語っておいてもいいだろう。
 このフィナーレと同種でこれに匹敵するのは、過去に二本しか知らない。
 一本は、1968年、上映された「ジョアンナ」マイケル・サーン監督……この映画は日本では、ビデオもDVDもほとんど見る事ができない。
 知る人ぞ知るカルト映画だが、都会に出てきた女の子が、挫折して、田舎に帰る駅のラストシーンで、突然、ミュージカルになり、この映画に関わっていた、監督以下、撮影、照明等のスタッフやキャストが、画面に登場し、傷心の主人公に、がんばれジョアンナ風の歌を合唱しながら、ジョアンナを見送るのだ。
 この、制作スタッフやキャストが登場するという呆気にとられるラストシーンは、その後も色々な映画に引用されたが、「嫌われ松子の一生」ほど効果的に使われた例を知らない。…………監督が「ジョアンナ」を知っていたかどうかは知らないし、「嫌われ松子の一生」では制作スタッフまでは登場していないようだが……
 もう一本の作品は、手前ひいきだが、僕が脚本を書いた1984年の「魔法のプリンセス・ミンキーモモ」四十六話のラストシーンだ。
 アニメの登場人物が、勢ぞろいで、「魔法のプリンセス・ミンキーモモ」の主題歌を歌う。
 実は、このシーンの合唱は、アニメを作ったスタッフも参加して、特別に録音したものだった。
 下手な合唱だが、当たり前である。歌には素人のアニメスタッフが加わっているのだから……

 もう一つ、個人的に、焦ったのは、魔女っ子のミンキーモモは、人間に生まれ変わって誕生するのがラストだったが……そのまま歳をとれば、もう、とっくに大人である。
 人間としての自分の夢をかなえようとして、人間に生まれ変わったミンキーモモは、人に愛されようとして生き続け無惨に死んでしまった「嫌われ松子の一生」の、ある意味では、裏返しの存在かも知れない。
 現実は悲惨でも、映画の表現上は、明るく楽しく、泣き笑いで描く手法も、どこかミンキーモモ的である。
 もしも「魔法のプリンセス・ミンキーモモ」のパート3が作られるとしても「嫌われ松子の一生」にする気は、まったくないが、意識するなと言われても無理な作品である事は確かである。
 そういう意味で「嫌われ松子の一生」は、傑作だが、僕にとっては、困った映画である。