首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

これ以上の新製品はいらない

 今、インターネットのWEBアニメスタイルに、コラムを連載している。
 ちょうど、「魔法のプリンセス・ミンキーモモ」の初代の頃の脚本を書いていた頃を、今書いているが、その頃を思い出す為に、当時、ビデオに録画したものを見ている。
 残念な事に、劣化が激しく、画像が良く見えないものが多い。
 DVDにコピーして残そうとも思うが、あまりに数が多い。
 半永久的だと言われていたレーザーディスクも、劣化は避けられないようだ。
 時々、昔のレーザーディスクを見て、その画質にがっかりする事が多い。
 この分だとDVDも、怪しいものである。
 昔、原稿用紙に万年筆で書いたものを、人に頼んで、パソコン用に、清書してもらい、保管しているが、ほとんどマッキントッシュのOS7.5用で、OS10以上になると、簡単に読み取れなくテキストも多い。
 互換性のないソフトが山のようにある。
 この調子だと、過去の記録は、どんどん消えたいく運命に、あるのかもしれない。
 新製品や新方式が生まれる度に、過去の記録が読めなくなるのは、困ったものである。
 記録を読み出せるように、昔の再生装置を捨てずに持っているが、保管場所は限界に近い。
 確かに、新しく生まれるものはハイビジョンのように画質や音質は良くなっているようだが、そのかわり、過去の記録再生能力が失われていくのは、とても困る。
 だからもう僕は、新製品とはつきあわないつもりでいる。
 そのつもりでいたら、今度は、TVが地上波デジタルに切り替わるという。
 いやでも、日本の国と企業は、僕たちを新製品につきあわせるつもりのようだ。
 今、以上の新製品は必要はないと、感じているのは僕だけだろうか?
 話は変るが、このブログのコメントで、昭和を懐かしむ作品のひとつとして、「ウルトラQ ダークファンタジーの二十二話「カネゴンヌの光る径」を勧められていたが、やっとレンタル屋で見つけ借りて見た。
 「今は二十一世紀です」と字幕で断りながら、出てくるのは、昭和のものばかり……作者は意地になって、昭和を追いかけている。
 画面のワイプ(切り替え)に使うのも、大阪万博太陽の塔のシルエットだ。
 正直、なぜそこまで昭和にこだわるのかよく分からない作品だった。
 昭和の時代も、今の時代も、世の中、金の亡者ばかりで、本質は変っていないという事をいいたいのだろうか?
 作家の意図が、よくつかめない作品だった。
 その他。昨日は、北朝鮮が、テポドンをやけっぱちのように日本海に発射していたらしい。
 ほんとうに、何を考えているのかよく分からない国である。
 以上……今日は思いつくままの事を書いて見た。