首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

ハチミツとクローバー

 昨日は、書いている脚本のシリーズの直しの原稿待ちで終わってしまった……今、他の人が書いている僕の前の話数の脚本が、滞っていて、そこが直らない限り、その続きを書く予定の僕が、書き出せないでいる。
 僕が書いた1話と2話はすんなりいったのだが、その続きの3話、4話が、色々な理由で決定稿にならないのだ。
 5話6話を予定している僕は、そんな状態で暇になり、渋谷の街をふらふらし、「ハチミツとクローバー」という映画を見た。
 原作がコミックだそうだが、僕は、読んでいない。
 美術大学の学生達の青春を描いた映画だが、ピンとこないまま終わってしまった。
 何がハチミツで、なにがクローバーなのかもはっきりしない。
 もともと、美術や音楽をテーマにした話は、映画にしにくい。
 実際にいた有名な画家や音楽家の話は、その作品が、残っているからいいが、お話の中だけで登場する傑作名画や音楽は、ストーリーの中で、いくら、「傑作だ、名作だ」と登場人物達が持ち上げても、映画を見ている僕たちが、その絵や音楽を、傑作だと認めてくれないと、白けるばかりである。
 お話の中に出てくるだけの傑作では、説得力がないのである。
 この映画には、才能のあると称される美学生の作品がいくつか出てくる。
 しかし、その作品を観客が見て、傑作だと感じなければ、その映画に感情移入ができない。
 僕は、この映画に出てくる美学生たちの描く作品を、傑作だとも、才能のある人の作品だとも感じなかった。
 したがって、そう感じた瞬間に、この映画自体がうそっぽくなり、なんやらかんやら青春ドラマしている部分も、思考停止になってしまった。
 いくら、原作がヒットているからといって、この素材を映画にするのは、いい度胸というか、無神経である。
 こうなると、気になるのがテレビドラマ化される「のだめカンタービレ」である。
 主人公の弾くピアノ曲の、けして、上手ではなく荒っぽいが、どこか魅力的な演奏というのを、どう表現するのだろうか……原作フアンとしては、不安と期待で、今から、落ち着かないでいる。