首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

牛肉は引退か……

昨日は、仕事の打ち合わせの後、一同で、夕食に牛肉のしゃぶしゃぶと、すき焼きを、ご馳走になった。
 はずかしながら、しゃぶしゃぶ、すき焼きとも、一年以上、食べていなかった。
 小学校の一年から四年まで、北海道でそだった僕は、肉料理は、ジンギスカン(つまり、羊の肉)と、決めている所があり、いろいろジンギスカン料理の店を探しているのだが、実家で食べるジンギスカン鍋に慣れてしまって、僕の口に合う店がない。
 どの店も、羊の肉が、一口大の塊で出てきて、僕の実家のように、すき焼きやしゃぶしゃぶのように薄く切った肉が出てこない。
 薄く切った肉のジンギスカン鍋を食べさせてくれる店があったら、教えて欲しいぐらいだ。
 で、牛肉のしゃぶしゃぶとすき焼きを食べて感じたのだが、いつの間にか、僕の味覚がすき焼きについていけなくなっている事に気がついた。
 すき焼きの味が濃すぎるのだ。
 しゃぶしゃぶも、ごまだれが駄目で、ポン酢一辺倒になってしまった。
 この夏は、もっぱら、どじょうとウナギで、スタミナをつけていたが、その為か、牛肉に対する味覚が変っているのに、自分でも驚いている。
 どんなに牛肉の質が良くても、濃い味にはついていけなくなっている。
 あっさりしていないとだめなのだ。
 年を、取ったせいなのだろうか。
 こんど、ステーキで、試して見ようと思っている。
 もともと、ステーキもソースなしで何も付けずにレアで食べるのが好みである。
 いわゆる、霜降りの牛肉は、油が多すぎて好きではない。
 さっぱりとした大根おろしなどついていると、なおうれしいのだが、そんなステーキ屋は、まずない。
 僕の味覚の中から牛肉が消えるのは、なんとも、さみしい限りである。
 小田原の漁港のすぐそばに十八年近く、仕事場を借りていた僕は、新鮮な魚に慣れていて東京で食べる魚は、よほどの高級料理店でなければ殆ど駄目である。
 良い肉と魚が、手ごろな値段で食べられなくなったら、東京には住めない。
 小田原に戻るか、それとも思い切って、北海道に仕事場を変えるか。
 そんなことを、ふと、考えて見ることもある。
 ところで、冬は牡蛎と、ふぐと鮟鱇の恋しい季節だ。
 手ごろな値段で、食べられる店はないのかなあ……と、ガイドブックで、探している今日このごろである。