首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

スーパーエッシャー展

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渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムのスーパーエッシャー展(ある特異な版画家の軌跡)を娘と一緒に見てきた。
 一種のだまし絵のような版画が多いが、ともかくそれぞれの版画の出来上がりまでの仕事が細かい。
 ひとりの人間が、一生の間に、こつこつと板を削り続けて、これだけの仕事が出来るのかと思うと、作品の芸術性よりも、作家の執念のようなものに圧倒されてしまう。
 いろいろな美術展や芸術展を見ているが、いつも、感心させられるのは、作品の芸術性より
作品を作り上げるまでの、それぞれの作家の作品に対する執着心である。
 僕も一応、もの書きと言うことになっているが、自分の作品に対してそれほどの執着があるかと聞かれれば、執着と言うものへの自信があるとはいえない。
 今日は、いい作品を見たというよりは、エッシャーと言う版画家に対して「よくやるよ」とあきれるしかない。
 最近、自分の作品に対するねばっこさやしつこさが、薄くなってきているのを感じることがある。
 僕は、若い頃より、はるかに書くものに対するあきらめが早くなっている。
 やりかけていること、やり残していることは、まだまだいっぱいある。
 だが、「あきらめるな」「やり続けろ」と「面倒くさい」「止めちまえ」が、自分の中で、いつも喧嘩している歳に、なってきたようだ。
  「人間は、やる気になれば、ここまでしつこく仕事が出来るんだよ」と、娘には言っておいたが、それは、自分に対する警句のような気がした。
 ポスターの写真を撮ったが、なぜか鏡に映したように左右逆になっている。どうしてこう写ってしまったか不思議である。カメラの調子がおかしいのだろうか?
 妙な気分である。