首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

「複眼の映像……私と黒澤明」

年末年始の休みが、終わったと思ったら、世間では連休である。
 僕にとっては、ちょっとした小台風だった家族が家に帰り、これからは、仕事場に閉じこもる静かな日々が続くことになる。
 いささかほっとしたが、気の抜けた気分である。
 しかし、昨年末に、今、やっているロボットものの脚本の一本にトラブルがあり、年末で全部終わる予定の脚本が、年を越してしまった。
 その脚本の為に、僕が書く予定の最終話が、大きく変わる危険性があり、頭が痛い。
 スケジュールが、めちゃめちゃ苦しくなるし、当初、考えていたシリーズの構成も、その脚本の為に、変えざるを得ないかもしれない。
 ちょうどそんな時、戦後を代表とすると言われる脚本家橋本忍氏の書いた「複眼の映像……私と黒澤明……(文藝春秋刊)」と言う本を読んだ。
 いうまでもなく、黒澤明氏は「羅生門」「生きる」「七人の侍」「用心棒」等の傑作を作った世界的に知られた監督だが、その脚本の作り方が、この本の目玉である。
 脚本家にとっては、なるほどと、感心させられ参考になる部分が多い必読の書かもしれない。
 黒澤明と言う監督が、いかに、脚本を重要視していたかがよく分かる本でもある。
 どんな映画だろうと、それがアニメだろうと、脚本が作品の生命線だということが納得できる本だ。
 僕にとっても勉強になったが、今、ちゃんと脚本を読解できる……脚本の良し悪しが分かる
 ……プロデュサーや監督がシリーズ構成がアニメ界に何人いるか、いささか暗澹とした気分にさせられた。
 それどころか、自分の書いている脚本の変な部分……良し悪し……に気がつかない脚本家さえいるのには、愕然とさせられる。
 そのうち、アニメ界に、脚本家不要論が、出てくるかも知れない。
 もちろん、きちんとした脚本を書ける人もいる。
 だが、そうでない名前だけの脚本家が増えつつあることも、否定できない。
 これからのアニメの脚本がどうなるか……僕は、いささか意地悪な目で、楽しみたいと思う……勿論自分の反省を込めて……