首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

僕の通った中学校

今度始まる、ロボットアニメの初回アフレコに行って来た。
 ほとんどの声優さんを僕は知らないが何とかなりそうな感じなので、初回の顔合わせ的な食事会は、遠慮して帰ってきた。
 アフレコスタジオは渋谷にあり、仕事場から歩いて十五分とかからない。
 帰り道は、僕がいつも渋谷の街に出入りする道筋と同じになる。
 その道筋の途中、仕事場から五分あまりのところ……住宅地の真ん中に中学校がある。
 僕や僕の妹達が通った公立の松涛(しょうとう)中学校である。
 僕は小説で、この中学を都立高校に見立て「都立高校独立国」という、渋谷区が日本から、独立する話を書いたこともある。
 この小説はNHKのFMでラジオドラマ化されもした。
 その松涛中学校は、僕が中学に通っていた頃は、一学年一クラス五十人以上で、十クラス程もあったマンモス中学校だった。
 だが、月日が流れ渋谷に子供が少なくなると同時に、有名私立中学に通う子供が多くなるにつれ、ついに、2002年には一学年に入学した生徒が8人しかいなくなってしまった。
 これじゃあ、生徒の数より、先生の方が多い。
 千人以上の生徒を収容していた敷地に、数十人しか生徒がいない中学校になったのだ。
 しかも、場所は都内有数の高級住宅地である。
 これでは、中学校の存続自体が、懸念されていた。
 すでに、僕や妹達が通っていた小学校はなくなり、今の東急本店やBunkamuraになってしまい、「大向小学校跡」という石碑しか建っていない。
 これで、中学校までなくなってはたまらない。
 地元のOBたちが、その存続を希望して様々な運動をしていた。
 学校自体も、生徒を集めるいろいろな工夫をしたらしい。
 例えば、主要科目以外の体育、音楽、美術、技術家庭等の授業の時間は、英語を使うことなど……授業を特化したのである。
 そのせいか、渋谷区の子どもたちが集まるようになり、今年は一学年二クラスまで生徒が増えたそうである。
 今では、都内でも有名な人気公立中学だそうだ。
 ひとまず、松涛中学校の消滅は避けられたようである。
 僕が、この中学校に通っていた頃から四十年近く経つ。
 登下校時に学校の前を散歩していると、後輩の中学生とよくすれ違う。
 自然、僕は微笑んでしまう。
 中学生達には気味悪く思われるかも知れないが……おじさんは、おまえ達の先輩なんだぞ……と、何となく誇らしい気分にさせられるのである。
 松涛中学、よくぞ生きのびた……今のところ僕の娘の志望中学は違う学校だが、できれば、この中学に通ってほしい。
 なんてったって公立である。
 安いし、近いし、親子が同じ中学なんてなんとなく楽しいじゃないか……妻とご本人の娘がどう考えているか知らないが……少なくとも僕は、毎日のように渋谷の街に出るたびに、そう思いながら松涛中学校の前を通っている。