首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

人と出会わなかったここ数日……

前回、ブログを書いてから、随分日数が経ってしまった。
 いろいろ原稿を書いて、数冊、本を読んで、映画やDVDを見て、あっという間に今日である。
 渋谷の街のまで十分ぐらいで行けるから、仕事場を出てたとしても、すぐに食事を済まし、帰ってきてきてしまうから外出した気分にならない。
 要するに、ほとんど引きこもり状態だった。
 原稿を書き続けていたから、ブログを書くまでの気力がなかった。
 仕事場の窓は、プロジェクターの画像を映すスクリーンがふさいでいて、外の光りが入ってこない。
 部屋の中は真っ暗で昼夜の時間が分からない。
 つまり、いつ起きて、いつ寝ているのか分からない状態だ。
 電話で、何人かの人と必要最小限度の話はしたが、実際の人間と顔を合わして話をしたのは、昨日、定期検診してもらった医者……相変わらずのことだが、僕のような不規則な生活を送っているとその内、自分も気がつかないうちに死んでいるぞと、脅かされた……と、今日、渋谷で行なわれたアニメのアフレコで、アニメの監督と数分、話したぐらい……食事以外に仕事部屋から出て階段を下りたのも、ゴミを捨てに行ったのと、郵便受けの中身を見に行った時ぐらいだ。
 そんな先刻、知人から、このところブログに書き込みがないことを心配して、電話がかかってきた。
 体調を壊して、寝込んでいるのではないかと案じていたというのである。
 ありがたいことだ。
 とりあえず「元気ですよ」と言うことを、お知らせしておかなければという意味で、今、ブログを書いている。
 明日からは、人と会う予定がいろいろ入っているから、ブログを書く気力も出てくるような気がする。
 書きたいことはいろいろあるのだが、人と接触していないから、ブログを書く気力もなくなっていた。
 普通、インターネットを使って、ブログなど、いろいろなことをやる人は人とつき合っていない時間にやるのだろうが、僕の場合は、人と面と向かってつきあわずにいると、インターネットさえも使わなくなってしまう。
 メールさえ、二日にいっぺんぐらいしかのぞかない。
 結局、僕は一人でいることが好きなのかも知れないと、今さらながら思う。
 昔、東京から、だれ一人知人のいなかった小田原の港町に引っ越したのも、知り合いのいない土地で、一人で暮らしたかったのかも知れない。
 歳を取れば取るほど孤独が好きになっていくようだ。
 そのうち、仕事場で、死後一ヶ月で発見……なんてことになるかもしれないと思うと、寂しいような、うれしいような……
 もっとも、僕には家族がいるから、それは不可能だとは思うが、昨年も、自宅で死後十日で発見された独身の知人がいた。
 そんな死を気の毒がっていた人が多かったが、僕は、なんとなく、うらやましい気もした。
 誰からも、気がつかれずあの世に逝ってしまう。
 気が楽だろうなあ……などと思ってしまう僕は、相当、変わっている人間かも知れない。