首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

「それでもボクはやっていない」

少しでも、暇な時間があると、映画を観るしか芸がないというのもさみしいものだが、仕事の打ち合わせの予定が潰れたので、今日も又、映画を見た。
「それでもボクはやっていない」……今、評判の映画である。
 痴漢の冤罪という小さな出来事から、日本の裁判の問題点を、観客を飽きさせないで描いて見せる監督の力量には感心した。
 ただ、良くも悪くも、この映画に登場する警察官も弁護士も検事も裁判官も、自分の職務にちょっと真面目すぎる気がした。
 だからこそ、裁判は怖いのだが……
 実は、僕自身、随分昔だが民事裁判で法廷に出た経験がある。
 刑事裁判と民事裁判では、事情が違うが、簡単な示談で済むような内容を、相手が受け付けなかったので、僕が告訴し、それに怒った相手は弁護士を立てて法廷で戦った。
 相手は弁護士費用だけでも大変だった筈だ。
 大袈裟に言えば裁判の素人対プロの弁護士の戦いで、勝つ為に随分勉強した。
 裁判に勝つ為の証拠を徹底的に集め、絶対に勝てると思える切り札を持って裁判に挑んだ。
 裁判に勝っても負けても、僕にとってはいい経験になると思っていたところもある。
 仮に負けても、若くて暇のある僕が失うものは、裁判費用ぐらいなものだった。
 僕の知人達も、裁判がどんなものかの興味もあったのだろうが、良く協力してくれた。
 結局、相手を精神的にも徹底的に痛め付ける結果になるだろう切り札を出さずに、勝つ事が出来たが、そこに行き着くまで、かなり僕も消耗した事は確かだ。
 もし、相手の弁護士が、この映画のように職務に真面目な弁護士だったら、僕は負けていたかも知れない。
 僕の持っていた切り札も裁判に提出され、相手は裁判に勝ったにしてもかなり傷つく結果になっただろう。
 この時のいきさつを、僕は、今、何かに書く気は無い。
 これからも書く事はないだろう。
 ともかく、裁判というものは、後味のいいものではない。
 起訴されたら、「ボクはやっていない」でも九十九パーセント有罪だという日本の裁判……刑事裁判と民事裁判をごっちゃにする気は無いが、裁判というものは勝ってもちっとも楽しくはない。
 この映画、出来はともかく、僕にとってはとても疲れる映画だった。
 余計な事だが、自由業の僕は、満員電車に乗る事はまずないし、何年かに一度、たまにラッシュに巻き込まれるようなことがあれば、両手を上にあげる事にしている。
 僕は、好意を持っていない女性の体に、偶然でも肌が触れるのは気持が悪い。
 だから、僕は痴漢などやりっこない。
「やりっこない」のが「やっていない」になり「やった」になってしまうかもしれない満員電車には、恐怖を感じる。
 この映画を観て、裁判の怖さを感じるより以上に、ラッシュの満員電車を走らせる日本の社会が怖かった。