首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

「マリー・アントワネット」

昔、「マリー・アントワネット」の舞台ミュージカルを作ろうという企画があって、その台本を頼まれた事がある。
 予算やいろいろな事情で、その実現は頓挫したまま現在にいたってしまった。
 書きかけの台本をずるずる引きずっているうちにオーストリアのミュージカル「エリザベート」の作者達が、「マリー・アントワネット」のミュージカルを作ってしまって、その日本語版が、東京でも上演されるそうである。
 未見だが、聞いた限りでは「マリー・アントワネット」という存在へのアプローチの仕方が、僕とはまるで違うので安心したが、「マリー・アントワネット」という名を聞けば、僕が気になるのは当然である。
マリー・アントワネット」に関係する事は、随分、調べもしている。
 マンガや宝塚の「ヴェルサイユのバラ」まで、「マリー・アントワネット」に関連していると言いだせば、調べる範囲はものすごく広い。
 ヴェルサイユ宮殿については、渋谷の仕事場の近くにある明治神宮より詳しいだろう。
 これ、ヴェルサイユ宮殿明治神宮を比べるのは無茶を承知で言っているのだが……
 今、上映されているソフィア・コッポラという女性監督の「マリー・アントワネット」も、見逃すわけにはいかない。
 で、その感想だが、映画の出来をうんぬんする以前に正直びっくりした。
 目のつけどころが、僕から言わせれば「マリー・アントワネット」という名前から普通連想されるイメージから、かなり飛び跳ねていているのである。
 政略結婚もフランス革命も、フランス王妃としての立場も、ほとんど背景に押しやられ、かといって、夫である国王からかまってもらえない……理由は国王の性的欠陥にあると見られている……女性としてのマリーの心象が描かれているわけでもない。
 この映画に描かれているには、ファッションとしての「マリー・アントワネット」である。
 断頭台に立たされるマリーは、ファッションとしては多分似つかわしくないから、この映画は、マリーが、ヴェルサイユ宮殿がら逃亡するところで終わっている。
 有名なフエルゼンとの恋愛もファッション以上にも以下にも描かれない。
 「マリー・アントワネット」という題名のファッション雑誌を見るつもりならこの映画は良くできている。
 この映画の監督も自分のセンスに自信を持っているらしく、ファッションだけの「マリー・アントワネット」を作っても、「それでいいのだ」と開き直っている。
 この映画でマリーは、歴史的人物としても、人間としても描かれていない。
 ファッション雑誌が好きな女性には受ける映画だと思う。
 マリーに扮する女優が、あまり美人でもなく、演技がうまいわけでもないのも、ファッション映画として、かえって多くの女性から好感を持たれるだろう。
「わたしも、マリーのようなファッショナブルな人生を送りたい」……という女性には、お勧めの映画である。
 でも、断頭台にかけられるマリーが気になる僕には、批評不能……本物のヴェルサイユ宮殿でロケした映画だということ以外は、どーでもいい映画である。