首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

「パフューム ある人殺しの物語」

 僕は、全然気が付かなかったのだが、僕の部屋を訪れた義理の妹が、部屋に入っていきなり「わーーー!煙草臭くてたまらないから、早く空気を入れ替えて!」と言った。
 煙草の臭さは、吸っている僕には分からないのだ。
 そんな事のあった直後に、この映画を見た。
 主人公の作り出した究極の香水の香りをかいだら、どんな人でも恍惚となり、なす術も無く快楽に溺れてしまうといった話である。
 どんな人格も性格も宗教さえも、その香りには勝てない。
 みんなひれ伏してしまう。
 なんだか宗教というものに、喧嘩を売っているような映画である。
 あんたの信じている神様の力を無力にするものがあるんだよ……それは、女性を殺して裸にして集めたフェロモンだかなんだか知らないけれど、その香りを調合して作った究極の香水です。
 この映画、神様を信じている人達にとっては、究極の不道徳映画だと思う。
 この映画を作った人達は、いい度胸をしている。
 究極の香水の香りを、音と映像だけの映画で表現しようと真面目になっているのも、いい度胸である。
 いや、所詮、表現不能な究極の香りというものを描いてしまうずるい映画だとも思う。
 こういう映画が、エログロしかも真面目ファンタジーとして通用するのも、さすが、香水文化の西洋の映画である。
 もしもこんな究極の香水というものがあれば、向う所、敵なしである。
 もともと香水は、風呂にもはいらず、町は糞尿垂れ流しで、臭くてたまらない体の匂いをごまかす為に作られたものだという。
 香りで、匂いをごまかす……つまり、香水とは毒をもって毒を制するようなものだ。
 つまり、見方によっては、宗教という毒の匂いに、香水という毒が勝つという話である。
 欧米の人達、いや、世界の人々のほとんどが、それぞれの宗教の匂いに染まって、その匂いの違いを互いに感じ、「あんたの匂いは違う」と言い合って敵対し喧嘩している。
 考えよう、使いようによっては、宗教とは、とても怖いものである。
 身について自分でも気がつかないそんな宗教の匂いを、無力にする強力な香水の香り…… 映画に登場する香水は究極の宗教という事なのだろうか?
 この映画、原作は世界中でベストセラーだという。
 ということは、世界中の人が、潜在意識の中で、この映画に出てくる究極の香水のようなものを求めているというこのなのだろうか?
 しかも、その香水は、ひどく不道徳な方法で作られている。
 この映画のラスト近辺は、爆笑したけれど、本当は笑っちゃいけないのかも知れない。
 いずれにしろ、自分の煙草の匂いも分からないし、宗教にあまり関心のない僕には、
よく分からない映画だった。
 ただ、禁煙の映画館の中で、やたら、煙草が吸いたくなったのは確かである。
 それに、この映画の登場人物は、みんな健康なんだな……とも、思った。
 風邪でも引いて、鼻がつまった人にも、この香水、効果があるんだろうか?
 それとも、究極の香水の香りは、肌からでも感じる事が出来るのだろうか?
 そんなつっこみさえ無効にする、なんだか強引な映画である。
 単なるオバカ映画ならいいけれど、いろいろ考えさせられる映画だけに、たちが悪い。
 出演者も音楽も演出も、一級品に見えるだけに、困った映画だ。
 やっぱり、笑ってみるしかないのかも……。