首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

「硫黄島からの手紙」

 劇場公開されてから、随分経ったから観た人も多いだろう日本の戦争を描いた映画である。
 泣きと悲壮感、わざとらしい感傷で客を煽ろうとする最近の日本の戦争映画と比べると、悔しいぐらい誠実に作られているアメリカ映画だ。
 戦争に対して、是非を問う訳ではなく、ある種の諦観が感じられ、そんな製作態度がまぶしく思える。
 こんな映画が、なぜ、日本で作れないのか情けなくなる。
 ただ、太平洋戦争当時の日本の描写に、明らかに間違っている所がある。
 監督のクリント・イーストウッドの製作態度からすると、当時の日本を充分に考証し正確に描こうとしただろうことは推測できる。
 日本や日本軍の描写におかしなところがあると、この映画の存在価値まで危なくなるからだ。
 当時の日本の描写について、おかしいところがないか、日本人のスタッフに念を入れて聞いて確かめたに違いない。
 もしかしたら、日本の歴史家にも考証してもらったかもしれない。
 それでも、間違った所がある。
 ということは、当の日本人すら間違いに気がつかなかったことになる。
 太平洋戦争を戦場で体験した日本人はほとんど八十歳を越えている。
 その人たちだったら誰でも間違いに気がつくだろう。
 その間違いに、多くの日本人が気がつかないとしたら、戦争の記憶がほとんど我々に伝わっていないということだ。
 太平洋戦争は百年も二百年も昔の事ではない。
 僕の生まれる少し前の出来事である。
 僕も太平洋戦争の事はほとんど知らない。
 ろくに教えられていないのだ。
 この映画の間違い部分に気がついたのは、若い頃、たまたま、ある戦争映画の脚本のお手伝いをして、戦争当時のことを、調べた事があるからだ。
 おそらく、ほとんどの日本人にとって、太平洋戦争は大化の改新と同じぐらい昔の歴史になっているのかもしれない。
 日本は平和な国である。
 自分の国のつい最近の戦争さえ、遠い昔の出来事でしかないのだから……
 アメリカ映画……当時、敵だった国から戦争の悲惨を教えられ、その映画の中の日本を描いた部分の間違いに気がつきもしないとしたら、日本は世界一おめでたい国である。
 映画の出来はいいと思う。
 だが、その映画を観る現代の日本人の出来はどうなのか……それを考えるとちょっと困ってしまう映画である。、