首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

父の太平洋戦争

前回のブログに書いた映画「硫黄島からの手紙」から、僕個人が考えずにいられないのは、父のことである。
 父は軍人として、沖縄の近くの石垣島終戦を迎えた。
 当時の戦況を考えれば生き残ったこと自体が、本人自身が信じられないような状況だっただろう。
 父は、終戦後、結婚したが家族に戦争の事はいっさい話さなかった。
 息子の僕がいうのもなんだが、父は家族や兄弟を人並みどころでなく尋常とはいえないほど大切にした。
 そして父は、他人から見ても、戦後の日本復興の為に全力を尽くした仕事をした人の一人である。
 だが、宴会の酔った席で、よく唄われる戦歌など、絶対に唄わない人だった。
 戦争映画はいっさい見ないし、戦争をテーマにしたテレビドラマやドキュメントも見る事を明らかに避けていた。
 戦後、よく行なわれた激戦地の慰霊祭に、仕事上出席しなければならないような場合でも、いろいろ理由を付けて断っていたようだ。
 僕が記憶している戦争に対する父の言葉はたった一回だった。
 僕が子供の頃、父が酔った時にぽろりと洩らした一言だ。
「自分は、戦争で一度は死んだ。だから、後の人生は……」
 そこから先は、何か言ったかもも知れないが、僕には聞こえなかった。
 そんな父も八十歳を過ぎて、体力的にも気力的にも、老いが見えてきた。
 いわゆる好々爺という感じである。
 この前、そんな父に、何気なく僕が言った。
 「アメリカ人が作った硫黄島の日本軍を描いた映画が上映されていて、結構、出来は悪くないよ」
 実は父は映画好きでヒットした映画と聞けば、しっかり、マークしている。
 「タイタニック」などは、母と一緒に、満員の劇場に見に行ったほどである。
 だから、「硫黄島からの手紙」という映画が上映されている事は知っていた。
 だが、父はきっぱりと言った。
「どんなに出来がよかろうと、戦争ものはご免だ……自分は観ない」
 そして、その言葉に続けてぼそりと言った。
「戦争は人間性を変える。だから嫌だ」
 父の中では、今も戦争体験の記憶が生きている。
 だが、それを聞かれても話そうとはしない。
 おそらく、その記憶を誰にも語らず墓場まで持って行くつもりなのだろう。
 実際の戦争とは、体験した人にとってはそういうものなのかもしれない。
 だからといって、戦争を知らない僕たちが、そのまま、知らないでいいという言いわけにはならないだろう。
 史実としての日本の戦争は、体験しなくても、調べることが出来る。
 日本の戦争を題材にした小説や、歴史書はいくらでもある。
 今も書かれ続けている。
 だが、そのほとんどが、その戦争の時代を生きていたにしても、実際の戦場を経験していない人によって書かれていることも確かだ。
 日本は、歳老いたにしてもまだ生きている人がいる時代に戦争をしたし、現在も世界中で戦争が起こっている。
「戦争は人間性を変える……」
 戦争について、それ以上の言葉を、父から聞くのは酷なような気がする。
「戦争は人間性を変える」
 その言葉は何よりも戦争を雄弁に語っているような気もする。
 僕たちは、それをどう受け止めたらいいのだろう……。
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