首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

「ブラッド・ダイヤモンド」

僕は、ダイヤモンドに対して全く興味がない。
 博物館や美術館でダイヤモンドを見ても、小さな玉ガラスか炭素の結晶としか思えない人間である。
 そんなダイヤを、なぜ、人が欲しがるのか理解できないのだが、現実は、古今東西、ダイヤに目がくらむ人がやたらと多い。
 もしも、あなたの奥さんやガールフレンドが、ダイヤを欲しがる素振りを見せたら、この映画を一緒に見る事を勧める。
 この映画を観て、まだ、ダイヤを欲しがるようだったら、その相手と別れたほうがいい。
 この映画は、そう思わせるほど、ダイヤを持つ事に、後ろめたさを感じさせてくれる。
 ダイヤに関心のない僕なんかにしては、ありがたい映画である。
 ハリウッドは、しょうもない話に大金をかけて映画を作る事が多いが、時々、
こんな社会性の強い素材にも、大金をかけて良質な娯楽映画を作り上げる時もあるから不思議な所である。
 欲望のかたまりのようなハリウッドが、自己批判のような映画をよく作れたと思うし、それが、単なる社会告発映画ではなく、しっかり娯楽映画になっているのも、ハリウッドの底力かもしれない。
 やはり、ハリウッド映画はバカにできないなあと、こんな映画を見ると、つくづく思わされる。
 この映画、ダイヤだけでなく、アフリカの抱える問題……その責任のほとんどはアフリカ以外の諸国にある……を、少し詰め込みすぎの感じもするし、その取り扱い方もかなり甘い気がするが、アフリカを野生の王国ぐらいにしか思っていない日本人には目からうろこの映画だろう。
 メインテーマが、日本人も欲しがるダイヤだけに、なおさらである。
 日本人には、真珠や翡翠があるんだから、それで我慢しろと言いたくなる。
 この映画、よく考えると脚本が少しご都合主義の所もあるが、抱えるテーマが重く、そのくせ、役者に華がありアクションも見ごたえがあるから、考えさせられる娯楽映画という難しいハードルを、上手く乗り越えている。
 誰が見ても、ダイヤを買うよりは損のない映画である。
 つくづく残念な事は、この映画、もう十二年、早く作って欲しかった。
 実は、僕の奥さん、ちっぽけだがダイヤの指輪を持っているのである。
 この映画、僕には遅すぎた。無念である。