首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

「時を駆ける少女」実写版とアニメ版

 原作小説は、随分昔に読んだ覚えがあるが、内容は忘れてしまった。
 原田知世さんの映画版も見た覚えがあるが、主題曲しか覚えていない。
 アニメ版と比較しようと、レンタル店を探したが、長い間、レンタル中で借りる事が出来なかった。
 ところが、たまたま、レンタル店のアニメの棚を見ていたら、アニメ版に混じって、実写版が紛れ込んでいたので、借りてみた。
 ほとんど、原田知世さんのプロモーション映画と言っていい作品だった。
 ともかく、原田知世さんが可愛く撮れている。
 原田知世さんが写っていればタイムリープなんか、どうでもいいような映画である。
 実際、内容も少女のかなわぬ恋の相手として、未来の少年を出してくる為のタイムリープで、タイムパラドックスなんかテーマにする気も無く、原田知世さん、可愛い、切ない、で押しまくるから、それはそれでいいんじゃないか……と思わせるだけの説得力ある原田知世さんが写っている。
 目に入れても痛くないと言う表現がぴったりする程、この映画の監督の原田知世さんへの愛が感じられて、いささかあきれるが、それもありだと思う。
 このロリコンおやじ監督が……と、ほほえましくさえ感じる。
 実写版に比べ、アニメ版の少女は、ダイナミックで積極的にタイムリープにかかわっている。
 実写版の方は、普通の女の子に戻りたいなどと悩み、そこが、また、可愛いといえば可愛いのだが……
 もっとも、アニメ版の女の子もタイムリープには積極的ではあるが、歴史を変えるなんて大きな事は考えず、見近な事ばかりにタイムリープ能力を使ってしまうのが、このアニメの女の子のチャーミングなところだ。
 実写とアニメ……比較する事自体が無理な二作だが、原田知世さんがいなければ成立しないような実写版より、アニメだからこそ成立したアニメ版「時を駆ける少女」のほうが、今となっては正解のような気がする。
 脚本的にも、アニメの方が、少女の感情の起伏がよく描かれている気がする。
 それと……実写の原田知世さんは年齢を重ね、映画の中の原田知世さんは、今となっては昔の原田知代さんである。
 いかにも過去の映画と言う気がする。
 しかし、アニメの少女は、歳を取らない。
 青春という甘酸っぱい時期を意識する感性を、僕たちが忘れない限り、アニメ版の「時を駆ける少女」は、古くなる事はない。
 生身の人間の出てこないアニメの特性を、アニメ版「時を駆ける少女」はあらためて、それも充分に僕に意識させてくれる。
それを分かっていたから、あえて、アニメ版の「時を駆ける少女」を作った。……としたら、このアニメのスタッフは……あんたは偉いである。
 だが、どちらの映画も、タイムリープしている最中の表現法が平凡で、もう少し個性的な描き方は出来なかったかという不満も残った。