首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

来年の今ごろは……

 昔、持っていた本が必要で、渋谷のもよりの図書館に行った。
 僕が持っていた本のほとんどは、小田原から渋谷に来る時に、僕の資料と共に小田原の図書館に寄贈して、今、僕の手元にないのである。
 自分の持っていた本を、渋谷の図書館で探すのは、不思議な気分である。
 小田原の図書館に行けばその本があるのは分かっているのである。
 それを、わざわざ、渋谷で探さなければならない。
 小田原になくて、渋谷にあるのは映画館ぐらいなものである。
 ファッションや都会風俗や夜のネオンにも興味のない僕には、渋谷はどうでもいい。
 渋谷になくて、小田原にあるのは海と山である。
 潮騒を聞きながら本を読むのは気持がいい。
 人のざわめきのない、静かな山の中で本を読むのも落ち着ける。
 小田原と東京は以外に近い。
 そのくせ、物価……特に家賃が安い。
 仕事場のある渋谷から、東京内で打ち合わせのある場所に行くのに、タクシーを利用する事を考えれば、新幹線の値段も安いぐらいだ。
 所要時間もそうは変らない。
 僕のような仕事は、週何回も打ち合わせがある訳でもなく、用事は電話で済む事も多い。
 学校や塾に通わなくてはならないらしい娘や、都会の真ん中から離れられない性分の妻は別にしても、僕が、渋谷にいる必要はないような気がしてきた。
 東京の病院の定期検診があるが、憂鬱な病人達と長時間顔を合わせて、三分間診療を受けるより、健康的だし、薬なら小田原の病院でも手に入る。
 精神衛生上にも、来年は、小田原……それも海がすぐそばの昔住んでいた早川辺りに、一人で戻っているような気がする。
 小田原のミカン山の仙人になるのも悪くない。
 世の中が嫌になったら、飛び込んで魚の餌になれる海もすぐそばにある……と言うのは冗談だが……