首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

チーム・バチスタの栄光……???

普通、このブログで紹介する映画は、めったに映画を見ない方にも、僕なりにお勧めしたい作品にするつもりでいる。
でも、ブログに書きたくなるようなあまりにすごい映画……(あきれたという意味で)も、たまにはある。
そんな映画の一つが「チーム・バチスタの栄光」である。
最初、見始めた時は、信じられないほどおバカな大病院が出てくるので、現代医療を笑い飛ばすブラックユーモアのコメディかと思った。
 竹内結子さんが扮する心療内科の医者の天然ボケぶりなど、危なっかしくって、コメディと自覚していなければ描けないはずである。
 生活は豊かなようで、個人個人は心に不安を抱えてしまう時代を反映しているのだろう、今、心療内科や精神科、精神カウンセラーは、押すな押すなの大繁盛である。
 予約しても、一時間以上待たされて、診察は10分間なんて場合も多い。
 はた目から見れば愚痴にしか聞こえないことも、患者にとっては普通の他人にはなかなか言えない真剣な心の病であって、だからこそ、やむにやまれず病院のドアをノックするのである。
 で、診察してくれるお医者さんが、竹内結子さんがいくらチャーミングだとしても、こんなボケじゃ、患者さんだって怒り出すだろう。
 確かに心の病は、治療に答えがなく、患者の話の聞き手になるしかないし、眠れないといえば睡眠薬を処方し、憂鬱気味といわれれば、抗鬱剤を処方するしかないのが現実かもしれない。
 だから、そんな現実を笑い飛ばし風刺するコメディがあってもいいと思う。
 だが、この病院のボケぶりは、そんな心療内科どころではないのだ。
 医者の一人は、病院の中で夕飯のおかずのことを、携帯電話で話だすし……携帯電話は、医療器械に影響を及ぼす為、使用禁止のはずである。……それとも、今の携帯電話は、病院内で使用が許可されるほど進歩しているのだろうか?
 この映画に出てくる医療の最先端といわれる手術を何回も成功させてきた医療チームというのが、すざまじく危なっかしい。
 こんなチームに手術されるのは、盲腸の手術だってごめんである。
 で、その最先端の手術が、最近失敗するというので、天然ボケの心療内科医が、病院上層部から依頼されてその調査を開始する。なぜそんなことになったかといえば、もともとその調査を担当する筈の医者が、遊びで世界一周する為の代理である。
 そもそも、そんな調査を、なぜ心療内科医がしなければならないか意味不明である。
 手術の失敗の原因に、手術チームの誰かの精神的な何かが関係していると、誰が決めつけたのだろうか?。
 「仕方がないや」ということで、この天然ボケのお医者さんは、手術チームのひとりひとりを、なんと動物の性質に当てはめながら、調査を始める。……「この人の性格は、動物の○○に似ている」といった具合である。
 その動物がそれを聞いたら気を悪くするってなもんである。。
 おまけにこの心療内科のお医者さん、平然と手術室に、雑菌がいっぱいついているだろうメモ帳と筆記用具を持ち込んで、手術チームの様子をチェックするのである。
 この病院には「院内感染」などという言葉はないのだろう。
 やがて、「この手術は殺人事件である」などと言い出すお役人が現れる。
 阿部寛さんである。自信満々のいつもの安部ちゃんのキャラクターである。
 なぜか、意味不明で安部さんも竹内さんもソフトボールが、お好きのようである。
 かくして、竹内さんと安部さんは天然ボケと自信過剰の凸凹コンビとなり、「そんなトリックお見通しだ」と言いたげに、最新先端の手術で行われた殺人事件の謎を、すらすらと解いていく。
こうなれば、ある意味で、危ないテーマの映画を避けて通る傾向の強い日本映画としては、勇気ある画期的なおバカ映画なのかな?……なんて好意的に思うしかない。
 だが、どうも、作った人たちは、そんな気持ちはさらさらなかったようである。
 本格医療ミステリーが、売りである。この映画のどこが……本格なのか…… 少しでも、日本の病院の実情を知っている人なら、この映画をおバカ映画として見ることすら、バカバカしくなるだろう。
 訳がわからないのが、原作を大幅に変えているとはいえ原作者が医療関係の人で、この映画自体も医療の専門家が監修しているらしいことである。
 この人たちは、手術シーンのリアルさは監修はしても、脚本のチェックはしないのだろうか?
 脚本を読めば、この映画、ちょっと冗談が過ぎるんじゃないかの苦情がでそうなものである。
 もし、この人たちに、「映画なんだからいいでしょう」という寛大すぎる許容があったのだとすれば、それはそれでかなり背筋に冷たいものを感じる。
 実はこの映画の脚本家と監督は、いや、スタッフの誰も、現代の医療が抱える問題なんかにに、関心がなかったのかもしれない。
 娯楽映画としての、その場その場の面白さを追いかけ、ストーリーのつじつま合わせに汲々となり、キャラクターの個性は俳優に頼り、……そういう意味では、竹内さんも安部さんも、今が旬だと思わせるものがある……現代の医療に対する視点が定まっていない。少なくとも僕には、この映画の存在自体の訳がわからない。
 出来上がったものは、医療問題、病院、医者、患者を馬鹿にしただけの映画になってしまった。
 おそらく、この映画の作り手は、それに気が付いていない。
 この映画は、人の命を扱う大病院が舞台である。
 作り手が意識してやっているおバカなら、大いに歓迎したい。だが、意識せず、お馬鹿というのは怖い。
 ラスト近くに、手術チームのリーダーが、天然ボケの心療内科の主人公に「いつか、あなたの診察を受けてみたい」などと、真面目な顔でいうシーンがあるが、彼だけではない、この映画を作った人達は、みんな心療内科に通うべきである。
 この映画を変な気分にならずに見ることができて、日本でそこそこヒットするとしたら、日本人という人たちは、相当寒い人たちになったと思う。