首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

「アース」

悪口に聞こえるかもしれないが、もう、劇場公開は終わっているだろうから構わないだろうという気持ちでこの映画(ドキュメンタリー)について書いてみようと思う。
地球温暖化をメインにして、環境破壊がいかに地球の動物や自然を痛めつけているかをテーマにしたドキュメンタリーということになっている。
この種のドキュメンタリーが、お好きな方たちには、見慣れた映像なのかもしれないが、一般の人には、動物の生態や、季節によって変わりゆく美しい自然が、まさに、驚異の映像という感じで立て続けに出てくる。しかも、かなり鮮明な映像である。
だから、僕としてもこの映画を見るなとはいえない。僕自身、よくこんな映像が撮れるなあと感心するシーンがいくつもある。
 しかし、この映画、僕としては微妙なのである。
 子供のころは、この種の映画、動物や自然を描いたドキュメンタリーが好きだった。
 だが、ある時から、なんだか変な違和感を感じて、それほど見なくなった。
 それは、この種のドキュメンタリーには、撮影している人間がいるんだということを意識し始めたからだ。
 そして、脚本を書くようになって、なおさら、それが気になりだした。
 こんなことがあった。
昔、「まんがはじめて物語」という番組の脚本を書いていた頃、その制作会社は別にドキュメンタリーも作っていて、アラスカあたりに住むセイウチだかなんだか忘れたが、その種の海獣の生態のドキュメンタリーを撮りに撮影隊をアラスカに送った。
 撮影期間は二カ月……たった二ヶ月で、野生動物の生態を撮影するなど、無理だと思うのだが、無茶を承知、やらせ等、平気の日本の制作会社である。
 ともかく、それらしいドキュメンタリーをでっちあげてしまった。
 で、撮影を終えて帰って来たそのドキュメンタリーの監督に、酒を飲みながら撮影の時の苦労話などを聞いた。
「ともかく、参ったよ」が、監督の最初の言葉だった。
 なんでも、やはり同じ海獣の生態を撮影するために、いくつもの国からテレビ局や映画制作会社の撮影隊が来ていたというのだ。
「なにせ敵さんたち(外国の撮影隊のこと)、二年、三年、平気で現場に居続けて、 がんがん、フイルムを回している。
いい写真が撮れるはずだよ。こっちは、たった二ヶ月だもん。かないっこないよ。ご予算少々の日本が、野生動物の生態を撮ろうなんてすること自体がまちがっとるんだよ」
 つまり、イギリスのBBCを筆頭に、優れた自然ドキュメンタリーを制作できる人たちは、撮影隊を二年も三年もアラスカの僻地に野生動物の生態を撮影するためだけの目的で、居続けさせる予算を出してくれるということなのである」
 監督は続けた。
「要するに、ドキュメンタリーに対する姿勢が、根本的に違うんだよ」
 監督の口調は、そんなドキュメンタリーを撮れる外国がうらやましそうだった。
 だが、僕は、その話を聞いてちょっと変、いや、相当変だなという気分にさせられたのである。
 通常、人間の住んでいない僻地に、野生動物の生態を撮影するために、人間たちが二年も三年も居続けたら、その土地の環境はどうなってしまうのだろう……極地に近いアラスカである。そんな寒い所に人間が何年も居続けたら暖房なしでいられないはずである。
 食糧だって、がんがんまわすフィルムだって、そこに運び込まなければならない。
 野生動物の生態を撮り、その姿を一般の人たちに知らせる。それは、何となく教養、教育的なドキュメンタリーに見えて……もちろん、撮影している人たちもそのつもりで、苦労はしているのだろうが、それって、自身は気がつかず、実は環境を破壊していることにはならないだろうか?
「アース」という映画、五年以上かけて世界中の各地に派遣された撮影隊が撮った膨大なフィルムの中から、見せ場になりそうな場面を抜粋して並べた映画である。
 一本の映画としてまとめるために、「地球温暖化の危機」というテーマを持ち出してきたような気もする。
 撮影機材と撮影技術の進歩が、この映画の鮮明な画像を可能にしたという。……ってことは、環境を破壊し続けてきた文明の進歩の結果であり、ガンガン使われたフィルムは、多分、石油からできている。
 この映画、俯瞰撮影が多い。水を求めて移動する動物たちの大群を上空から写した場面など圧巻である。
 でも、それを撮影するために、カメラを乗せたヘリコプターが排気ガスをまき散らしながら飛び回っているのである。
 密林の中の場面など、ドルビーの立体音響で、前後左右から、動物の鳴き声が聞こえる。
 これが本当に、密林の中で聞こえる音なら、録音マイクが密林のあっちこっちに備え付けられたことになる。
 それって環境破壊にならないのだろうか?
 この映画、はじめとおわりを、地球温暖化で極地の氷が解け、足場を失って難儀している白熊さんを写して、まとめている。
 そして、「今なら、まだ、間に合う」というナレーションが付いている。
 本当に間に合うのだろうか?……だって、地球温暖化への警鐘をテーマにするドキュメンタリーを、暖房のきいた劇場の中で、ぬくぬくと僕たちは見ているのである。
 この手の自然ドキュメンタリーに慣れていない人には、見どころの多い映画だとは思う。
 だが、僕は見ていて居心地が悪いというか、見ている自分が申し訳ない気分にさせられる映画だった。
 劇場を出たら、風が吹いていて寒かったので、少しだけほっとした映画だ。