首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

「最高の人生の見つけ方」

前回のブログからあっという間に一ヶ月が経ってしまいました。
 何やらかにやらと忙しく、それに体調が付いていけずゴールデンウイークガあったことも気が付かないうちに、時間が過ぎて行った感じです。
 それでも、映画だけはかなり見ていまして、ここ数年でめったに出会わなかった脚本の出来に感心する映画がありましたので、紹介だけでもしておこうと思い、このブログを書いています。
最高の人生の見つけ方」というアメリカ映画です。
 余命6か月と宣告された2人のじいさんが、残された時間で、それまでの人生で果たせなかったことをやってしまおうとするファンタジー映画の一種です。
 ファンタジーだから、最初から、ありえないことの連続です。
 この映画をファンタジーだと思わずに見ると、「おいおい、それはないだろう」という、つっこみどころだらけの映画になってしまうでしょう。
 ファンタジーだからこそのありえないことの連続の末に、「人生で一番大事なもの」は何かを見つけて死んでいくというのがこの映画の大筋なのですが、それは、それでいいけれど、この映画の脚本は、かなり、トリッキーなのです。
 じいさん2人を演じる俳優が、現在のアメリカ映画で、一二を争うような名優(怪優?)で、事実、やりたい放題といっていいほどのびのび演じているので、2人の演技を見るだけでも面白い映画だし、この映画を、2人が主役の映画として見ても間違いではないと思うのですが、それにしては、脚本が変なのです。
 まず、ナレーションが、この映画では、一番最初に、死んでしまうじいさんによって語られます。
 そのじいさんが知らないはずの死んだ後のことまで、ナレーションで語るのは、脚本上、ちょっと変です。そんな変な脚本なのに、ラストのナレーションが、皮肉も効いていて鮮やかです。
 さらに、ファーストシーンと、ラストシーンに出てくる世界最高峰のエベレスト(チョモランマ)に登る登場人物が、誰なのか?……つまり、この映画の本当の主役は、誰なのか?……それが分かった時に、この作品のテーマが、余命6ヶ月のじいさんたちの幸せ探しというだけでなく、老若男女に共通するテーマになる脚本のずるさ?。
 味付けはコミカルとはいえ、人間の死を扱った映画です。
 後味が暗くなりそうな筈なのに、なぜか、さわやかに終わります。
 トリッキーな脚本が、上手く機能しているのです。
 それに、この脚本、脇役に見える人物の描き方が、出色の出来です。
 余命6か月のじいさんを誘惑する高級娼婦?のシーンなど、感心します。
 全盛期(昔です……今はひどい)の、いささか手前勝手のアメリカ映画の臭みが嫌いな方には勧めませんが、よく出来た脚本の映画を味わいたい人にはお勧めです。
 余命6か月のじいさんたちに、やりたい放題のおぜん立てをして、ラストは、自らエベレストの山頂まで登ってしまう登場人物の一人を、この映画の本当の主役……つまり、その人物は余命6か月のじいさんを見つめるこの映画の観客でもあるのです……にしてしまうこの映画の脚本は、そうとう凄いなと、僕は思います。
 思い出してみれば、この映画を監督したロブ・ライナーという人の作品「スタンド バイ ミー」も、脚本がよく出来ていました。
最高の人生の見つけ方」という、じいさんファンタジー映画、評判はいいようですが……じいさん2人の名演技だけに気を取られていると、ちょっと損な気もします。
 脇役に見える人物が……いい味、出しているというだけでなく……主役かもしれません。
 もっとも、余命……なんて言われると、「僕の余命は……」と考えてしまい、この映画のじいさん2人に感情移入している僕自身に気がついて、なんとなく情けない気がする僕の今日この頃に溜息……。