首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

夕凪の街 桜の国

なんだか、突然、ブログを書いている。
この映画を、妻がDVDをレンタルして観て、「よかった」と、電話で言っていたからである。
僕は、原作の漫画も読んでいたし、映画も劇場で観ていた。
しかし、感想を、書く気にはなれなかった。
原爆についての映画に対して、何を書いても空々しい気がしていたのだ。
しかし、原爆の悲惨について語るのは、それを体験していようがいまいが、日本人としての義務であり権利であるとは、常々思っている。
なぜなら、広島、長崎の悲惨がなければ、日本は戦争を止めなかっただろう。
すでにそれまでに玉砕や特攻などという無茶苦茶をしてまで戦争を止めなかった日本である。
広島、長崎がなければ本土決戦に突入し日本はめちゃめちゃになっていた。……しかし、この本土決戦という言葉もおかしい。沖縄は日本だった筈である。沖縄の戦いは、すでに本土決戦であるという認識が当時の日本の上層部にはなかったのだろうか?……その認識のなさが、今も沖縄を痛めつけている。
沖縄についての軽々しい発言は、様々な問題に波及するから、今は避ける。
ともかく、沖縄を抜きにした認識の、いわゆる本土決戦になれば、日本全部が焦土と化し、おそらく、今、生きている日本人の半分以上が、産まれても来なかっただろう。
要するに、今の日本は、広島、長崎の犠牲なしには、存在しなかったと言い切ってもいい。
日本人の誰もが、それを自覚すべきなのだが、遠い昔の歴史上の出来事のように時間とともに風化していく傾向がある。
僕自身、日常の中に広島、長崎は、情けないぐらい遠くなっている。
僕は戦争を知らない世代である。
しかし、小学生になった頃、上級生の年齢には胎内被爆の子がいたのである。
それが、いつの間にか僕の意識から消えてどこかにいってしまった。
1970年には、安保反戦運動で大騒ぎした世代だが、広島、長崎については、ほとんど語られなかった気がする。
ここに並べて書くのも不謹慎かもしれないが、「ゴジラ」「ラドン」も、最初は、核の産物かもしれないと言われていた悲惨な怪獣だったが、いつの間にかアイドル怪獣である。
そして、ついには、日本人の政治家が「原爆は仕方がなかった」的発言を軽々しくする時代になってしまった。
自分が、大きな顔をしていられるのは、広島、長崎の犠牲があったからこそなのに、「仕方がなかった」は、ひどいんじゃないか?。
原爆についての映画や報道番組は、作品としての出来不出来はともかく、作られ続けなければならないし、全世界に対しても、日本は広島、長崎の国として、存在する義務があると思う。
 終戦と同時に、アメリカ軍は広島と長崎を徹底的に調べた。
 そして、予想はしていたのだろうが、とんでもないものを作って落としたことに、仰天したに違いない。
 そりゃ、自国民に、とんでもないものを落して、戦争に勝ちました。……とは言えないだろう。
 で、「あれ以上の戦争被害を、出さないために、仕方なかった」等と、歯切れの悪いことをいまだに言っている。 
 だが、直接、原爆に関わった人で「原爆で戦争に勝った」と、無邪気に喜んでいる人は、あまりいないようだ。
 それが、いかにとんでもないものだったかは、その後の朝鮮戦争ベトナム戦争、その他の戦争で、そのとんでもないものを使わなかった……いや、戦争に負けても使えなかった事でも分かるような気がする。
 正確にいえば、劣化ウラン弾などという危ないものは使われたが……
 長い間、冷戦と言われた危なっかしい時代が続いて21世紀になり、未だに、いろいろな国が山ほど持っているとんでもないものが使われずにすんでいるのは、奇跡的だと思う。
 奇跡を続けさせているのは、広島、長崎の犠牲があったからだと言えないだろうか?。
 その広島、長崎の国、日本が、核の危なさを忘れては困る。
 日本は、義務教育のうちから、もっと、徹底的に広島、長崎と、核について教えるべきだと思う。
「広島、長崎に原爆が落ちて、戦争は終わりました」という記載だけの知識では、日本人としてあまりにお粗末である。
 で、コロッと変わるような文章になるが、僕はノンポリ(政治的意図のない人間)だし、いわゆる核の平和利用に対しても反対ではない。
 しかし、いつどこで地震が起こるか分からない日本(……おまけに耐震偽装の国でもある……)に、ぼこぼこ原発が作られたのは、あきれている。
 核に対して無知ではないだろうが(無知としか言いようのない事故も起きているが……)、ともかく核被爆国としての認識が欠けている。
 こんなことを書いている自分すら、広島、長崎への日常における認識のなさが情けない。
 しかし、これ以上、広島、長崎について書くのは止める。
 自分の拙劣な文章では、読んでいる方に主旨が伝わらず、どんな誤解を受けるか分からないからである。
 こんな、臆病な姿勢が、ますます、広島、長崎を、風化させるのだと思うと自己嫌悪である。
「夕凪の街 桜の国」の映画が、一生懸命、作られた事は分かる。
 しかし、原作のあえて描いていない部分を、映像化しようとして失敗している気もする。
 けれど、見ないよりはいい。
 上映館が少なく、観客も多くなかったそうである。
 DVDで、レンタルして、見てください。
時効警察」のコミカルなヒロインが、全く違う質の演技しています。才能のある女優さんだと思います。
 田中麗奈さんも、20代後半の年齢の役を無邪気に演じています。
 などと、こんな紹介の仕方しかできないのかなあ……?
 原作は、娘に読ませます。
 娘は、小学校の頃、なぜか、突然、広島に行きたいと言いだし、広島の街に行きました。
 何が娘を広島に行かせたのか知りませんが、義務教育で、広島、長崎が無理なら、親が広島、長崎を伝えるしかないと思います。