首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

4日前の昔、小田原で……

 土曜日に小田原に中学生の娘と一緒に行きました。
 幸い晴れていました。
 まず、小田原の一つ隣の駅、JRで海に一番近い駅という早川で降り、海や昔の仕事場を見て、徒歩で小田原駅に向かいます。
 早川は娘の生まれた所でもあります。
 娘は早川をよく覚えていて、立ち入り禁止の海辺に行って、昔を懐かしんでいるようでした。
 小田原に行く途中には、西海子(さいかち)通りという、桜の見事な通りがあり、その近くに、娘の生まれた産婦人科の病院と、通った幼稚園があります。
 その通りに面して小田原文学館があり、そこに、僕の生原稿が展示されているイベントが16日まで、開かれているので、挨拶もかねて伺いました。
 申しわけないぐらい丁寧に展示されていて恐縮すると同時に、自分の原稿を見て驚きました。
 三つの小説の原稿が展示されていて、それぞれ、200字詰めに6Bの鉛筆……400字詰めにサインペン……400字詰めに万年筆……ほとんど、一気に書いていて、消しゴムの跡も書き直しもほとんどありません。
 僕が物書きだった時代を思い出しました。
 今? 今はパソコン叩きですよ。
 物書きだった頃は、ラフだけれど力任せの勢いがありました。
 歳を取りワープロパソコンを使いだしてから、失ったものが多いような気がします。
 物書きだった頃に、いつか書こうと思ったものをずいぶん書き残してしまいました。
 今、それを書けるかといえば、パソコンでは、とても昔の勢いでは打ち出せず、昔の原稿用紙を広げて万年筆を持っても字が思い出せない。
 例えば、まんねんしつと書こうとしても、手書きなら万年筆と書けても、パソコンでは万年質……いけねえ、まんねんひつだったと直している間に、次に書くつもりだった語句を忘れている。
 漢字を確認するための辞書を引く習慣も無くなった。
 書くスピードも、文体も、もう、手書きの頃には戻れません。
 原稿をわざわざ見に来て下さった方達に、書いた頃のことを説明する自分も過去を懐かしむご隠居のようで恥ずかしくなんとなく憂鬱になりました。
 憂鬱なんて単語、昔は手書きで書けましたが、今は読めても書けません。
 だいいち、頭の中では憂鬱はゆーつです。パソコンだとユーツとしか変換してくれません。
 みなさん、何か書きたいと思ったら、今すぐ書きましょう。
 用具は、あなたのお好みで、ケータイだってパソコンだってかまいません。
 何かを書きたいと思ったら、その時が旬なんです。
 そのうち、口述筆記用具なんかが出てくるかもしれませんが、その時は、もうあなたが書こうと思った旬は過ぎています。
 ケータイで書けていた文章が、口述筆記用具では書けなくなるかもしれません。
 昔、試したことがあるんです。
 速記の口述筆記……僕の場合だけかもしれませんが、文章になっていず、文体のリズムも僕のものではありませんでした。
 小田原の桜は旬で、文学館でお会いした年配の方々も、良い方達でした。
 なぜか、「二十四の瞳」という昔の映画の話題が出て、そりゃ、僕は知っていますし見ていますよ。映像関係者ですから……
 でも、僕の父親の時代の映画で、反戦映画として悪い映画ではないと思いますが、やっぱり今がない。
 あなたは知っていますか?
 当然、娘にとっては??????です。
 それでも、北原白秋の詞は、口づさんでいました。
 ♪赤い鳥、小鳥。なぜなぜ赤い……赤い実を食べた。
 凄いな……パソコンでもきちんと変換できます。
 父も僕も娘も知っています。
 白秋が小田原で書いた詞だそうです。
 旬も大切ですが、こういうのも書けたらいいなあとも思います。
 では……
 あ、それと、このブログのずーっと下、何日か前のブログの下に、どこかのPRが載っていますが、僕とは関係ありません。
 消し方が分かりませんし、今のところ載って大いに困るPRでもないので、そのままにしていますが、僕が勧めているPRではありませんので、そこのところよろしくご理解ください。