首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

車が空を飛ぶ

車の話である。
 小田原のはずれの早川という所にいた頃は、どこに行くにももっぱら車を利用していた。
 毎週、一回は、打ち合わせで東京まで、往復は車を使っていた。
 車は人格を変えるというが、もともと無茶な人格なので、人前ではおとなしいが、車に乗ると元の人格に戻ってしまう。
 今だから言うが、深夜、小田原から東京の渋谷まで四十五分以内で来ていた。
 平均時速の表示の出る車で、平均時速百二十キロ以上、料金所で車を止める時間も含めての平均時速である。
 覆面パトカーの名所の小田原厚木と東名高速で、一度も、捕まった事が無いという幸運の持ち主でもある。
 他の車に抜かれたのはポルシェ一台、一回きりだけである。
 それも、内側車線から抜いていった大馬鹿である。
 抜かれた時に、風圧で、こちらの車も揺れた。
 挑発に乗るほど、こちらの車にはポルシェに勝る基本的な実力は無い。
 どうせ、今ごろとっくに、どこかで事故るか、スピード違反で警察に捕まっているだろう……と、未だに抜かれた事を根に持っている自分を、馬鹿だなあと思う。
 両方ともスピード違反には変わりないではないか。
 さて、僕は、二週に一回ぐらい、自分の運転能力を見るのと、車を慣らす為、箱根ターンパイクという山道では、下りを百キロで降りていた。
 それこそ、今だから言うが、車で空を飛んだ脚本家が、四人いる。
 十数年前、西伊豆で釣りをしたアニメ関係の脚本家を、小田原まで送ったが、いつもは乗せない後部座席に二人乗せて、それでも、僕としては安全運転を心がけて、いつもより慎重に山坂道を走っていた。
 急カーブが至る所にある訳で、それでも運転する僕以外、酒が入っていた三人は、上機嫌で……いや、もしかしたら怖かったのかも知れないが……「首藤君って車の運転、上手いねえ」等といってくれていた。
 そして、小田原に降りていく一直線の下り坂に入った。
 おもわず、いつもの癖で、百キロ以上で駆け降りた。
 その時である。
 後部座席の二人の重さとトランクに入れた釣り道具のバランスが、ぴったりマッチしたのだろう。
 ガクンとハンドルが、軽くなった。
 その時、車はほんの数秒だが、宙を飛んでいたのである。
 しまったと思ったが、三人には黙っていた。
 三人は、小田原駅に着くと、上機嫌で東京に帰っていったが、僕は冷や汗でいっぱいだった。
 その後、小田原の市内に住むようになって、車が必要でなくなった僕は、わずか二十キロ近いスピードで、止まっている車にゴツンしたのをメドに、自分の運転能力に自信がなくなり、車を運転しなくなった。
 東京に住むようになった今は、車を人にあげて、全く運転はしなくなった。
 だが、本当に今だから言うが、ベテランアニメ脚本家のTさんHさんKさん、あなたたちは、車で空を飛んだことのある貴重な体験をした人たちです。
 あ、それから、僕と小田原から下田まで車で往復した演出家のYさん……助手席で、怖がっていたようですが、あの時は、完全に安全運転でした。
 それから僕の車に乗った経験のある多数の人たち……とりわけ豪雨の東名を百キロで走った僕の車に乗った経験のあるあなたたちも、安全だけはしっかり考えていましたから、いまさらですけれど、安心してください。
 なぜ、こんな事を思い出したように書いたかというと、最近、フォルクス・ワーゲンが、自慢のゴルフではなく、その上級車のパサートをテレビのCMで流し始めたからだ。
 僕の車は、そのパサートの旧型だった。
 新型になって、どれだけ変ったか、乗ってみたい気もするが、今の運動神経では止めておいた方が無難だろう。
 旧型は電気系統がよく故障したが、ドイツではタクシーに使われるベンツでも無く、BMWでもなくアウディでもない、大衆車としてのワーゲンの上級車という変な車格と武骨なデザインが、好きな車だった。
 ワーゲンのゴルフは、やたら売れるのに、パサートはさっぱり売れないと言うのもかわいい。
 ただし、旧型は車内は広いが、時速八十キロ以下の低速では、やたらハンドルの重い、日本の街中では、運転しにくい車だった。
 写真をブログに載せたいが、カメラが携帯電話についているカメラも含めてそろって故障で入院中である。
 たまに流れるテレビCMでも見てください。ただし、それは新型のパサートだが……
 ところで、昔、ドイツの友人に、パサートに乗っているというと、馬鹿にされたことがある。
 ドイツじゃ、ホンダかトヨタが、ベストの選択だとさ……なるほど、実質を重んじるドイツ人的感覚である。………………(^_^;)