首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

「バルトの楽園」とドイツ

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昼夜、逆になった生活を、何とかしなければと思い、一日中徹夜で起きて、牛丼屋の朝定食を食べ、
ぼんやりした頭で遅々として進まない原稿を書き、昼になれば、評判になっているらしい道玄坂の上にある「カレーの森」とか言う店に、眠気覚ましのカレーを食べに行き……余りに眠かったので、味は感知不能だった。
 更に、眠かったので、コーヒーショップで、三杯、ブラックコーヒーを飲み、映画を観た。
バルトの楽園」という、第一次大戦の、日本のドイツ人捕虜収容所の話である。
 実話を元にした話という事で、捕虜収容所が、やたらとドイツ人捕虜を、大切にあつかったという美談である。
 いわゆるヒューマニズムの権化のような映画だから、文部科学省やら、色々なところの、推薦を受けている。
 だいたい、第一次世界大戦の日本参戦は、ドイツ不利を見越した上での、いいとこ取りのどさくさまぎれの参戦の様相があり、偉そうな態度はとれないと思うのが、僕の実感である。
 収容所長が、かつて明治維新で政府に反抗した為、明治政府から艱難辛苦を強いられた会津藩の悲劇を体験したゆえに、逆にドイツ人捕虜を、大切のあつかったという説明らしきものが、くっついていたが、そんな事より、捕虜虐待が当たり前のように思われていた収容所としては、珍しい存在として、美談として描かれている。
 捕虜を優遇する収容所を、批判する声も少しは描かれるが、薬味ににもならない程度の、軽い描き方である。
 ヒューマン映画のパターン通りのエピソードが羅列され、感動するというより、いささか退屈した。
 しかしである。
 ラストに、捕虜達が、終戦後、捕虜がドイツに帰るのにおよんで、日本人への感謝の意味を込めて、
ベートーベンの第九を収容所の人たちが演奏する。
 いわゆる「喜びの歌」である。
 ふたつの、闘いあってきた国の心が、音楽で結ばれるという、これも、パターンである。
 だが、音楽の力は強い。
 それまでの退屈なエピソードが、ふっとぶほど盛り上がる。
 まあ、これはこれでいいんではないかい……と言う気分で、劇場を後にした。
 最後で、評価がずいぶん甘くなってしまった。
 実は、これには、僕の個人的な理由がある。
 若い頃、ヨーロッパを放浪に近い形で、 旅したことがあったが、ヨーロッパの人々の中で、見ず知らずで、貧乏みえみえの日本人に、一番親切に対応してくれたのが、ドイツの人たちだった。
 第二次世界大戦では、第一次とは立場を変え同盟国だったとはいえ、戦後、何十年もたっているのに、日本人に対するドイツ人の好意は、僕に限っての事かも知れないが、不思議ですらあった。
 おまけに、昔のガールフレンドの夫が、ドイツ人である。
 いささか手に余るところもあったガールフレンドを引き受けてくれて、ありがたいと思うところもある。
 その他もろもろ……ドイツ人の気質も含めて、僕は、ドイツという国が、好きなのである、
 だから、ドイツと日本の友好を描いたこの作品は、どんなにパターン通りのヒューマニズム映画でも悪い気はしない。
 ただ、ラストのクレジットで、ストーリーに関係のない、カラヤン指揮の「第九」や、デパート三越での演奏会の「第九」が出てくるのが、判然としなかったが、「第九」をハミングしながら、仕事場についたら、それが子守歌がわりになったのか、ついに眠りに誘い込まれ、午後五時から爆睡……
気が付けば、深夜、次の日になっていた。
 昼夜逆転を直すのは、また、やり直しである。