首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

日本アカデミー賞のこととか……

 なにやかにやと忙しくて、このブログの書き込みも週一回が精一杯の感じです。
 ブログといえば他の人のブログでは、本屋で見かけて購入したきっこさんという女性(だと思う……)のブログを本にした「きっこの日記」をきっかけに、時々この方のブログを覗くのですが、驚くべき量の書き込みと、書かれている文章内の知識量に、いつもびっくりしています。
 ブログとしては、僕は初心者、あっちは本気でプロですね。
 ここ20年ほど、パチンコから遠ざかっている僕としては、この方のブログのパチンコの話題だけはついていけませんが、他の話題は賛否はともかく興味深く読ませてもらっています。
 しかし、毎日毎日、あれやこれやとよく話題が途切れないと感心します。
 で、昨日、税金の申告の用意もあって、乱雑にしていた郵便物を、整理していたら、日本アカデミー賞の投票用紙が出てきました。
 出し忘れていて今年は棄権です。
 ただ候補作品を見て思うのは、順当にいけば「それでもボクはやっていない」の圧勝でしょう。
 アニメは「河童のクゥと夏休み」で決まり。
 ただ、気になることが二つ。
天然コケッコー」が作品賞の候補にも入っていないこと。
 個人的には、社会派的うるささ?のある「それでもボクはやっていない」より、「天然コケッコー」ののほほんとした感じのほうが好ましいのですが……候補にも入らないのは、日本アカデミーの体質なんでしょう。
 もう一つ気になるのは「キサラギ」の高評価です。
 脚本の出来が目立って評判のいいアイドルオタク達のOFF会の話ですが、この作品の脚本、本当にいい脚本なのかどうか僕は、疑問なんです。
 なぜかというと脚本の作りが絵合わせのパズルなんです。
 元から出来上がっている絵をバラバラにして、並べているようなものです。
 脚本が、ラストから逆算して作られているから、脚本を書きなれている人ならちょっと見ただけでラストへの展開が見えちゃうんです。意外性もありません。
 ラストの全部がぴったりはまった時の爽快感から、脚本の評判がいいのでしょうが、元から出来上がっている絵をバラバラにしているだけだから、ぴったりはまって当然なんです。
 で、元から出来上がっていた絵自体といえば、デッサンの壊れた……つまり矛盾だらけなんです。
 登場人物の設定からして変なのです。
 アイドルのフアンのOFF会なのに、つまり、アイドルとそのフアンである登場人物達が直接関係していない事が前提の会合なのに、その関係無さの関係?のおかしさが肝のはずなのに、結局、全員がアイドルの関係者であることで話を収めている。
 ラストで絵はぴったりはまったけれど、出来上がった絵は、ファンのOFF会になっていない。
 関係者達の会合にすぎません。
 当たり前の会合になっている。
 もともとアイドルの関係者達なら、その会合自体に面白さはありません。
 つまり、この作品の脚本には、単なるパズルの面白さしかないわけです。
 あとは、なにもありません。
 こういうパズル脚本が、いい脚本だということで、これから日本映画に増えてくるとしたら、日本の映画は今よりさらに不毛になるでしょう。
 それを良しとする観客も映画関係者にも、疑問を感じずにいられません。
 僕の文章、「キサラギ」という映画を見ていない人には、分かりにくいかもしれませんが、分からなくても構わない程度の作品だと思います。
 これが、作品賞と脚本賞の候補なら、「しゃべれどもしゃべれども」とか、「サイドカーに犬」のほうが候補としてふさわしいと思うんですけれどね。でもって、「眉山」とか「続三丁目の夕日」が候補だもんなあ……どうなってんだろう……。