首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

[謹賀新年、のだめはだめじゃなかった。

あけましておめでたいんだかなんだか不安なトラ年です。
なにせ、野球のタイガースフアンなんで、元気な巨人を見ていると心配で心配で……でも、僕の身体だけはなんとか元気です。
去年最後の映画は中学生の娘とデイト(^_^;)で見た「のだめカンタービレ」。去年最後の大バカ映画(いい意味で)でした。
じいさんの僕とわざわざ「のだめ」を見る娘の狙いは一足遅れのクリスマスプレゼントなのは見え見えで、おじさんとしては恥ずかしかったのですが、意外に客席は老若男女入り混じっていました。クラシックの力なんでしょうかね?
基本的にテレビドラマ人気にあやかった映画は嫌いです。マンガやアニメの実写もすきじゃありません。
しかし、この映画、アニメの「ヤマト」で沈没した日本映画を浮かび上がらせてくれる力を最後の最後で見せてくれてほっとしました。
テレビドラマを見ていない人には分かりにくいかもしれない「のだめ」と千秋の関係と、なぜヨーロッパにいるのかを、ろくに説明せずに分からせる強引で説得力があるんだかないんだかわからない、上野樹里さんと玉木宏くんの見せる序盤の凸凹怪演……あれよあれよで、「のだめ」のおバカな世界に引き込みます。どうでもいいんです。ストーリーは……クラシックの実力はあるけれど変な女の子と男の子がいて恋愛混じりのギャグ展開……そして、テーマは「音楽の力」……もともと少女マンガですから、その世界観に客を引き込めば勝ちです。その点、この映画、キャスティングがおバカなんだか真面目なんだか分からないほど色々なキャラクターの大混乱で成功していると思います。
特に驚いたのは、この映画のスタッフのクラシックへの真面目なこだわりです。
名前や作曲家は忘れたが僕らの耳になじみがあるクラシックのオンパレード……(丁寧な解説もしてくれます)
音楽教養おバカ映画でもあるわけです。
特に最初に演奏される「ボレロ」はすごい。僕は、「銀河英雄伝説」というアニメで戦闘シーンに「ボレロ」をフルに流した前科があるので、「ボレロ」には、ちょっとだけうるさいのです。「のだめ」の「ボレロ」はびっくりしました。文字通り「ボロボロボレロ」なのですが、これだけ下手に聞こえて、それでもかろうじて「ボレロ」として聞かせるには、下手な演奏者たちでは無理です。下手な演奏は、うまい演奏者が演奏するから下手に聞こえるのです。ここだけでもこの映画を見る価値がある。更に「のだめ」の弾く「きらきら星」どこかぶっとんだ「超絶?トルコ行進曲」これは稽古をしている時からすごい。もちろん、演奏は吹き替えでしょうが、そうとうすごいピアニストが演奏していると思います。天才ピアニストといわれる(僕はひとりよがりだと思いますが)グレン・グールドもどきのはちゃめちゃぶりといったら、ほめすぎでしょうか。娘に「家に帰ったら参考にグールドを聞けと言ったら、グールドのほうがめちゃめちゃだった」と言っていましたが……(笑)
で、まあ、「のだめ」の妄想変態CGはともかく、現実部分のCGアニメは(変態カレーなど)はやりすぎだとも思いますが、更に実写変態人、竹中直人さんのベートーベン風というより弁当弁風名指揮者様が登場すると、それも気にならなくなります。
考えてみれば、映画のワイドスクリーンはオーケストラを描くのに適し、ピアノの鍵盤、グランドピアノの長さを描くのにも適しています。
音の面でもテレビより音響効果のよい映画館に向いています。
まあ、偉そうなことを言わせていただければ、ドルビーデジタルの音は、いかにもアメリカンで派手すぎてクラシックの繊細さに欠けますが、それを言うのは贅沢でしょう。
そんな贅沢を言いたくなるほど、この映画のスタッフは、クラシックにこだわっています。
それが、おバカなのか真面目なのかわけのわからん「のだめカンタービレ」世界を作るのに成功していると思います。
そして、終盤、チャイコで千秋の指揮に感動していた「のだめ」が、千秋のバッハを聞いて、次第に表情が変わっていくあたり……つまり、千秋が恋人としてではなく、追いつき越えなけれればならないライバルに変貌していくのを感じる……このあたりの上野樹里の複雑な表情は彼女が上手いのか、それとも天性の才能なのか……レンタルビデオ屋で、上野樹里の出ている映画のDVDを片っ端から借りてみました。
映画界は、この人を「のだめ」に味をしめてコメディ女優に終わらせないでほしいと思います。
で、これは前編であります。
 後編では。どんなクラシックがでてくるのでしょう。
 テレビドラマから続けると、有名どころは出尽くしている気もします。
 ラプソディインブルーまで出しちゃいましたから……
 しかし、大物が残っている。
 このストーリーがハッピーエンドならクライマックスにぴったりのピアノとオーケストラの協演ラフマニノフのピアノ協奏曲があります。
 しかし、それじゃあ、あまりにベタすぎる気もしますしねえ……
 僕なら。耳が聞こえづらくなっている弁当弁竹中直人作曲(編曲?)ベートーベンピアノ協奏曲「月光」……そんな曲ありません……つまり、ベートーベンのピアノ曲「月光」をオーケストラとの協奏曲にするんです……そして、
「のだめ」と「千秋」の才能の開花であるピアノ協奏曲を聞き「これが聞きたかった」と竹中ベートーベン、涙まじりにうなずく。
もっとも、そんな曲を作曲(編曲)し、演奏しようとするおバカな挑戦をする人は現実にはいないでしょうけれどね。
 つまり、僕はこの映画にもアニメにも原作漫画にも関係ないけれど、そんなラストシーンを想像したくなるほど、この映画を楽しめたということです。クラシックに興味のある方もない方も、「のだめ」のおバカギャグが嫌いな方も、音響効果のいい劇場でどうぞ。
 そして、残るおバカ映画のひとつ「2012」も劇場向きです。
 年賀状である方が、この映画の監督の作品、ビジュアルはいいが、ストーリーがねえ……と書いていました。
 一般的にも、同意見が多いようです。
 でも僕は、そのおバカなストーリーがすごく面白かったのです。
 それについては次回にでも……
 では。

[「大和」が「ヤマト」になる日

まずは、前回、素人ブロガーの僕の疑問に答えてくださった方たちに感謝します。ありがとうございました。
で、今回は12月に見た映画について……
昔、三バカ大将というドタバタ映画シリーズがあったのですが、この十二月、驚くべき三バカ映画を見ちゃいました。
そのうちの二つは「2012」「イングロリアス・バスターズ」で、2作とも大爆笑映画……「2012」は、出来るだけ大きい画面の映画館(最近の映画館のスクリーンは小さすぎます。昔のシネラマ映画館……70ミリ映画館の大画面が姿を消して……その為か、演出までがテレビで見るDVD化を意識しているようなスケールの小ささを感じてさみしい昨今です。「2001年宇宙の旅」とか「アラビアのロレンス」なんて、大画面で見なければ、その価値は半分以下でしょう。
もっとも大画面ならではのスケールのある演出のできる人は、デビッド・リーン、ウイリアム・ワイラー。スタンリー・キュブリック(この人にはスパルタカスという映画があります)しか今、思いつかないのですが……黒澤明監督も70ミリ映画の「デルス・ウザーラ」という映画がありますが、大画面を使いきれているとは思えませんでした。
僕に言わせれば「スターウォーズ」も「未知との遭遇」も、演出のスケール感がテレビサイズに感じます。
で、「2012」は、画面が大きければ大きいほどバカバカしくて笑える映画です。あるかどうか知りませんが字幕のない日本語版があれば、もっと笑えるかもしれません。この映画のバカバカしさは大画面の映画館でいっそう引き立つと思うので、今年最後に大笑いしたい方は、劇場での鑑賞をお勧めします。どこが大笑いかをお話ししようとしたら「イングロリアス・バスターズ」でまた大笑い……演出はしっかりしているのに、中身はめちゃくちゃという奇妙な映画で、このバカバカしさもお話ししようかなと思ったら、ついにとどめの大バカ映画……日本のアニメ「宇宙戦艦ヤマト復活編」の登場です。ただし、こちらのバカさ加減は、大爆笑ではなく大激怒というか、なんかもう吐き気を催す気味の悪さです。
これほど、嫌な気分にさせられた映画は、僕の映画歴になかった気がします。
だから、この「ヤマト」のことを先に書きます。
というのが、40代、50代の人まで、「やまと」といえば「戦艦大和」でなくて「宇宙戦艦ヤマト」を先にイメージしそうな時代になっているような気がするからです。
 僕は戦争を知らない世代です。
 でも、戦艦大和が、沖縄へ片道の燃料しか積まずに、勝てるはずもない特攻出撃し、あっという間にアメリカ軍の集中攻撃を受け、ろくな戦闘もできず空しく沈没した戦艦だということは知っています。でっかい大砲を持った当時世界一の戦艦だったのですが、大砲の威力の時代は過ぎ去り、飛行機の戦力の時代になっていました。同型艦に武蔵というのがありまして、これは、レイテ沖の海戦で、少しは戦艦らしく戦ったのですが、これも飛行機の集中攻撃を受けて沈没。更に同型艦信濃というのがあり、航空母艦に作り替えたけれど、時すでに遅しで、あっという間に沈没。
余談ですが、僕の父は、海軍で長門という戦艦に乗っていたことがあり、終戦は沖縄のすぐそばの石垣島でむかえました。
沖縄は全滅ですから、父が沖縄にいたら、僕は生れていなかったわけです。
戦艦長門の運命については、書きたくもありません。……関心のある方は調べてください。いや、知っておくべきことだと思います。
軍の上層部に大和の片道出撃の時、日本が戦争に勝てると思っていた人がいたとは思えません。
つまり、ほとんどやけっぱちの特攻だったわけです。
特攻は乗員の死を意味します。
そんなめちゃくちゃな攻撃に出撃して、沈没したのが戦艦大和です。
乗員は、とても気の毒な言い方ですが、無駄な犠牲だった……。
そんな大和が「宇宙戦艦ヤマト」として、浮かび上がって地球を救う。
テレビアニメで、大和がヤマトになって宇宙を飛ぶのは、なんだか釈然としなかったのですが、実際の戦争では活躍できなかった特攻戦艦大和を宇宙で戦わせるというセンチメンタルな気分は分からないこともない。
放映当時の若い人や子供たちが夢中になったのも分からなくはない。
しかし、特攻は特攻です。
しかも、それが2度も3度もということになると……僕の書いた「戦国魔神ゴーショーグン」というアニメの台詞に「一度死んだ命、二度も死んでたまるか」というのがありますが、いいかげんにしてほしいと思いませんか?
でも、まあ、商売です。日本の為という大義名分がいつの間にか地球の為になりそれが愛の為になったりして……「なんだかなあ……」と思っていたら二十年ほど前、僕のところに「ヤマト」の脚本の話が来ちゃったんですよね。
で、「ヤマト」にこだわる大プロデューサーがどんな人か知りたい気もあってお会いしたら、いきなり、「今度の「ヤマト」はどんな話がいいかな?」と聞かれたのでその場のアドリブで「長く平和が続いて地球の人たちが平和ボケしているところに宇宙人が攻撃に来る。そこで、博物館でホコリをかぶっていたヤマトを持ち出すが、若い人たちは平和ぼけして全然、戦闘意欲がない。昔のヤマトの活躍を懐かしんでいるその博物館の半分ぼけた倉庫番の老人がヤマトの艦長になるが、乗員になり手がないからボーナスを高くつけてニートやフリーターを集めて訓練をする。けれど、てんでばらばらでみんなやる気がない。しかし、いよいよ宇宙人が攻めてくるとなると自分たちの命があぶない。みんな死にたくないのだが逃げ場もないから、めちゃくちゃに戦ってしまう。戦略も戦法もない。しまいには敵も味方もなく生きていたい一心でただめちゃくちゃに戦ってしまう……あまりのめちゃくちゃぶりに、宇宙人のほうがびっくりして、こんな凶暴な人類と戦っては命がいくつあってもたらん……と逃げていく。
気がつけば、廃墟と化した地球に、ヤマトだけが生き残り、それでも、勝利の雄たけびで、波動砲をどかーん!……なんてストーリーはどうですか? と言ったら大プロデューサーはデスラーのようなクールというか真面目な顔で僕を見て、「首藤君は面白いことを考えるねえ……」と言って、以後二度と連絡はありませんでした。
でも、それから二十年、大プロデューサーの博物館の倉庫でヤマトは生きていたんですね。
しかし、どんだけ特攻が好きなんだろう。
敵も味方もわけも分からず、特攻、特攻、特攻、その為のストーリー(三人の脚本名がタイトルされているけれど、脚本と呼べる代物じゃない)……だいたい、地球の滅亡が近いからって、他の星に移民するっていうのも、地球人の都合ってわけで、移民される方からすれば、迷惑なんじゃないのかなあ。
それに、司令官とか艦長とか親分格の人だけの判断で、戦闘が続けられるし、なんだかみんな好戦的で、続編の都合もあるのかもしれないけれど、ちゃっかり、ヤマトと主人公と地球は生き残る。
このアニメ、クラシックがやたら使われるけれど(そりゃ、僕も、銀河英雄伝説のアニメではクラシックを使ったが、その選曲にはスタッフ一同が頭を絞ったそれなりの意味があったわけで……使用クラシック集全二十二枚という恐ろしいCDボックスにつけた僕のナレーションを聞けばわかると思いますが……あ、これPRじゃありません。これ買って聞くのは、よほどの銀河英雄伝説フアンでしょうから、かるがるしく勧められませんよ)
この「ヤマト」の使い方(悪の登場シーンなど)は、クラシックの作曲家に失礼じゃないかと思うのです。
でも、なにより困るのは(僕の感じ方にすぎませんが)自己犠牲、特攻を格好良く見せたがることです。
「せんかんやまと」という名を聞いた時「戦艦大和」より「宇宙戦艦ヤマト」を思い浮かべる世代が増えているとしたら、かなりまずいぞと思うのです。
 この映画R18(18歳以下禁止)どころかR50にしたい気がします。
 このアニメに出てくるブラックホール、まともなブラックホールじゃありません。
 西崎ホールです。
 そこに波動砲をぶち込む宇宙戦艦ヤマトの姿勢だけは、正しいと言えるかもしれません。
 二部に出てくるのは石原ホールかな?
 二部では、そこに十二連発ぐらいの波動砲をぶち込んでやってください。
 でなきゃ、今も海に沈んでいる戦艦大和とその乗員のみなさんに申し訳ないじゃないですか……
 あ、申し遅れました。このアニメ、確か信濃が出てきました。次には「宇宙戦艦ムサシ」が出てきそうで心配です。
 では。

コメントの字数制限……まるで素人より……

このブログのコメント欄にアニメ「千年女優」に触れた方があった。
返答をこのブログ欄に書くほどのこともないと思い、コメントに書いたら、意外に書く分量が多くなり、
「500文字以上書き込めません」の表示が出た。
しかたがないから、文章をけずって500字以内におさめたが、舌ったらずで言いたいことが伝わったか自信がない。

 僕は、いまだにブログの素人である。今や、超不定期ブログになっているこのブログを格好良く見せても意味がないなあとも思うし、そのやり方もよく知らない。
 ついでに、買ったものの使用説明書をろくに読まないで使ってしまうタイプである。
電化製品や、コンピューターでも、昔のMACはろくに説慶書を読まなくとも、何とか使えていた。
ところがウインドウになるとさっぱりである。
恥ずかしながらケータイのメールも取り扱い方が面倒くさそうだし、説慶書を読むのも面倒だから使ってていない。僕にメールをしても無理である。その契約をしていない。

 そんな僕が人さまのブログを見ると、よくあんな見栄えのするブログが作れるなあと感心する。
 僕はまるでブログを使いこなせているとはとても言えない。
 そこで、素人の疑問……
 ブログのコメントは500字以上書けないのがきまりなのだろうか?
もちろん、意味のないことを、何千字分もコメントされても困りますし迷惑ですが……
で、 ブログ自体の字数制限は何字なのだろう・
 昔、未発表作品などの公開欄に、作品を乗せたら、やっぱり。字数制限があり、一時期に全文を乗せられず、何回かに分割して表示しなければならなかった。
で、面倒だから,今はやめている。
分からないことは、まだまだある。
 トラックバックってどうすればできるの?
サムネイルってなに?ブログ慣れしている方には常識なんでしょうが。
ブログを書く決まりを説明してくれている文章がどこかにあるのでしょうか?
御存じの方がいらっしゃればお知らせください。お願いします・
では……

ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない

書く書くと言っていた(ホッタラケの島」の感想じゃなくてごめんなさい。
渋谷の街を歩いていたら、ちょうどこの長い題名の映画の上映開始時間に映画館の入っているビルの前を通りかかったので、ふらふらと引き込まれるようにこの映画を見てしまいました。
予告編は見ていました。で、おバカなお仕事コメディかと思っていたら、まあ、コメディ風ではあるのですが、テーマは社会の格差の矛盾をを結構真面目なつもりで描いたような、僕にとっては、困った映画でした。
映画として、けっしてつまらないとは思わないのですが、主人公が「もう限界だ」と思う状況に説得力がないんです。かといって、この程度の不幸で「限界」を感じる主人公のバカさ加減を笑い飛ばす喜劇にもなりきれていない。
 確かに今の世の中、不況で、不景気、就職難の時代です。
 しかし、それは、ネクタイを締めたサラリーマンとして就職するレベルの就職難で、生死にかかわる食うに困った状況での就職難ではないんですよね。
 ブラック会社といったって、この人の勤めている会社、現代の不況化の中小会社じゃ普通よりちょいと待遇が悪い程度のものだと思います。労働基準法は守られていないかもしれないが、とんかつ定食を食べ
……ちなみに、僕の子供の時は、豚のひき肉がかすかに入ったカレーライスが週に一度の御馳走でした……とんかつ定食と同時にこの主人公、同僚と宴会らしきものを開き酒を飲めるだけの給料はもらえるんです。
主人公の勤めている会社はことさらブラック会社と呼ぶほどひどくはないと僕には思えます。
 明日どうなるか分からない、物書きと言う自由業の僕より不安度は軽い。自由業は、仕事がお金にならなければ、無職と同じですからね。
 この主人公、全国の日雇い肉体労働者諸君や、生きていくためにやりたくもない売春まがいの水商売をしなければならない女性たちほど追い詰められているわけではないんです。
 そんな仕事は違法パスポートまでとって日本で仕事をしたい外国人にやらせて、自分に似合っていると思い込んでいる仕事(いわゆるきれいな仕事)につくという範囲の中で、限界を感じているに過ぎないわけです。
  
 この主人公、中卒で義務教育はちゃんと受けていて、いじめがあったかどうか知らないが、家庭には高校も大学も卒業させる財力もあっただろうに、高校を自分で中退する。これ、かわいそうと言えますか? 大學出身が50パーセント近い現代で、自分の中学卒をコンプレックスに感じるのは自業自得……身勝手で贅沢なコンプレックスです。さらに食うに困らず親がかりで7年間もニート……7年もニートできるなんて、そうとうユーフクな暮らしをしてきて、しかもまだまだ若い。うらやましい限りです。
 しかも、就職しようとする理由が、息子の就職を望んでいたが突然亡くなったお母さんを喜ばせたいからです。なんじゃ? 自分が生きる死ぬ、家族を食べさせる……とかいう切羽詰まったものではないんですよね。
 余談かもしれませんが、家のないホームレスさえ、飢え死にすることはめったにない現代の日本です。
 戦争も六十年以上ない。
そんな現代の日本に生まれてきたことが奇跡的ともいえる幸運なのに、そんな国での仕事に不満を持って「俺は、限界だあ~」なんて、それを見せられて同情しろと言われても困りますよ。
その上、この主人公、家もある。自分の部屋もある。パソコンも持っている。仕事に疲れ果てたといってもインターネットの2チャンネルに愚痴を書きこむ気力は温存している。
 おまけに三国志のフアンらしく……三国志はマンガから小説までいろいろあって……事実、主人公の本棚に並んでいます……そのなかでも主人公のイメージシーンの登場人物像からするとどうやら最近の大作映画「レッドクリフ」を意識しているようです。
映画かDVDで見たんでしょうが、どんなに忙しくても三国志の映画を見る時間は作るんですよね。
ついでに、同僚だか先輩は、アニメのガンダムおたくでフィギュアを集めている。
女性派遣社員は、婚活の男漁りの為に会社を渡り歩いているような女の子のようです。
 つまり、この映画におけるブラック会社は、僕の世代とは違うレベルのブラックなのです。
 世界中から、勤勉で、ワークホリックと呼ばれ、ある意味恐れられた昔の日本人とは違います。
 バブル時代の裕福すぎたころの日本の会社から比べたら、確かに、主人公の勤めている会社はブラックに感じるのでしょう。
 でも、そんな会社に勤めてこき使われて、「限界だ~」と感じていたら、日本は確実に、変貌激しい世界情勢から落ちこぼれるでしょう。
 基本、今の日本人は若い時から何かをやってやるという意欲をなくしているんでしょうか? 
 三国志が好きなら、そこに登場する英雄たちのだれかに自分をあてはめてイメージすればいいのに、主人公は、自分を一介の一兵卒にしかイメージできません。
 途中から学歴のいい(といったって、たかだか早稲田ですが……)脇役が入社しますが、その理由が、ブラック会社ならできの悪い社員ばかりだから、優秀な自分は簡単に会社のトップになれるだろうです……せこい。
 こんな社員連中を集めて、こき使って使い捨てでかまわない考えのこの会社の社長もせこい。
 そんな日本の会社、特にIT企業の体質を糾弾するのが、この映画のテーマだとしたら、それもなんだか、せこい映画な気がします。もっとなんか他のテーマはないの? なんだか見たら元気になるような映画。
 最近、こういう脱力系の日本映画が目立ちます。人が死んで泣ける(僕は泣けないけど……)映画もあきちゃったし……純愛と非行と不幸と自殺ならなんでもありのケータイ小説風映画もなんかうざいし……
 この映画の監督の作品「キサラギ」という映画も、つまらなくはないけれど、だから、なんなの?……という映画だった気がします。
 ま、しょうがないか……良きにしろ悪しきにしろこういう映画を好む日本の現代の世代を育てたのは、戦後生まれの僕たちなのだから、……責任取れと言われたって……責任取る気もないしね……
 では……
 
 

 

「犯人に告ぐ」ではなくて「犯人にお願い」

 前回のブログで「振り込み詐欺」に引っかかった事を書いた。
 しかし、この犯人グループ、遅かれ早かれ捕まるだろう。
 この犯人、実は、NTTの電話と、携帯で、4回、僕と話している。2回は犯人側からかかり、2回は僕からかけている。
 僕と僕担当の犯人は、合わせると少なくとも30分は話をしているのである。
 僕からかけたNTTの普通電話を通した電話番号は、犯人グループが「公共機関」を装った偽のものである。
 実は、おそらく犯人側は、僕に3回、電話をかけている。3回目の電話は外出先で「詐欺」にひっかかった4分後で、僕の携帯にもちろん非通知設定でかかってきて、僕は意識的に出なかった。通常、僕は、よほどの事情がない限り携帯を持ち歩かない。携帯のメールは使わない。メールを使うのはインターネットだけである。かなりの知人がそれを知っている。
だから僕から携帯をかけることはあっても、僕に携帯がかかってくることは、かなり重要な用事があって相手が僕を探しているときである。
しかし、僕は携帯を持ち歩いていないから、携帯にかかってきた電話は、携帯を置きっぱなしにしている仕事場から相手にかけ直す。
したがって非通知設定の電話はほとんどかかってこない。
けれど、この事件の時、僕は、携帯を持ち歩いていた。
そこに、非通知設定の電話がかかってきた。詐欺かどうかを確認するために銀行に行く途中だった。
その4分後には、巧妙な手口に僕が引っ掛かかって僕が振り込んだ相手先の口座からお金が引き出された。
犯人と僕との会話が、かなりぐずぐずしていたので、犯人側も危険性を感じてあせっていたのだろう。
ところで、僕の仕事場には、見ず知らずの人からかなり電話がかかってくる。
ほとんどが、保険、信託、その他、金銭がらみの勧誘である。
普通ならすぐ断り電話を切るだろうが、僕は時間があればかなり長話をする。
勧誘内容には興味はなく、電話をかけてきた人に興味があるのだ。
これ、いちおう物書きである僕の習性なのかもしれない。
昔は、飲み屋や喫茶店で、面識のない人たちの会話でも面白そうな話題をが耳に入れば、「失礼ですが、面白そうな話ですね」などといいながらその話題に加わり、その人たちと知り合いになるのが特技(?)だった。
だから、僕は見ず知らずの人からの電話でも出会いには違いないので、相手のことを知りたがるのである。
相手の目的は勧誘だから、僕を勧誘できると思い、長電話につきあってしまう。
で、ついつい、勧誘目的のつもりが、自分本人についてのことも話してしまう。
そして、僕にはそれをメモに書く癖がある。
したがって、僕はその人が何を僕に勧誘したかったのかは忘れてしまうが、(相手の会社の名前もその人の名前も忘れている場合が多い)電話をかけてきた人がどんな人であるかの私的?情報(どんな生活をしている人であるか、時には出身地まで)を、僕自身、意識せずに聞き出してメモしてしまう。
で、そんなメモを後で見て、なんだこりゃ?……あ、あの勧誘電話の人のことか……ってなもんである。
そして、電話をかけてきた人は、勧める内容に僕に脈があると思うのだろうか、2度目の電話をかけてくることが多い。
 かなり、なれなれしい様子でかけてくる。
 で、話題は勧誘内容とはかけ離れたこと……主に電話をかけてきた人のことが多い。
 あまりに僕が勧誘内容に興味がないので、相手がキレて電話をガチャンと切られたこともある。
 今度の「詐欺」で僕担当の犯人の石井さんと言う偽名の人、もう気が付いただろうが、手口は巧妙だが、かなり、自分たちの情報を漏らしてそのポイントを僕にメモされてしまっているのである。
 断っておくが、寝不足で疲れてかなりぼけていた僕は、意識的にそれをしたのではなく、なんとなく、いつもの癖でメモしちゃったのである。
 それが資料になるから、警察の被害調査に5時間もかかったのである。
「これだけ分かっていて、なぜ、「詐欺」にひっかかったの?」と、警察の方は呆れていた様子だった。「よっぽど、バカだなあ」といわれているような気もした。 人間、魔がさすというか、なんだか、うかつというかぼーっとしてしまう時があるんだなあということを僕は実感して反省している。
 けれど、警察の取り調べって、かなり、的確で厳しい。僕は被害者なのに……これが犯人だったら、しらばっくれるのは難しいと思う。グループだったら芋づる的に捕まるだろうなという気がする。
 もう処分したと思うけれど、犯行に使ったあなた方のケータイの一つは、テレビで犬の出てくるCMのケータイですよね。
 ケータイ商戦競争たけなわの今ですが、どこの会社のケータイを使おうと調べればわかります。
 戸籍さえ売買される時代だから、まともな方法で手に入れたケータイではないでしょうが……それがすぐ分かってしまうのは犯人側としては迂闊じゃないかと思います。……これ以上、分かっていることを書くと捜査の邪魔になるでしょうから、事件に関心を持つ人なら誰もが気づく手掛かりだけ書きました。
 でも、犯人グループが捕まっても、被害にあうとお金は返ってこないだろうし、被害届や調べに手間はかかるし、気分も消耗しひどく疲れます。
 街を歩けば、いつもはさりげなく見過ごしていた「振り込み詐欺に気をつけましょう」の掲示がやたら目につき、精神衛生上いいとはいえません。
 だから、みなさんは、ほんとうに十分気を付けてください。
 で、僕の取引銀行ですが、「振り込み詐欺」防止のためATMで振り込む時は、現金10万円までで、それ以上は、窓口で身分証明がいりますなどと注意書きが大きく書かれています。「ただし、キャッシュカードを使うと100万~200万まで振り込めますから御注意ください」の表示はありません。ATMのそばに小さく表示されているだけです。
 たとえば東京の都心で、10万以下の家賃の場所なんてほとんどないし、かといって普通の人で10万以上の現金を持ち歩く人も少ないでしょうし、結局、高い値段のものや振り込みはキャッシュカード(デビッドカードとしての買い物)かクレジットカードを使うでしょう。
人件費を減らすためのATMでしょうが、利息0時代にATMですら手数料を取るし、銀行に行くのがつらいお年寄りや面倒な人の為という理屈かもしれませんがコンビニにATMを置くし、しっかり調べないで「振り込み詐欺」用の誰かの口座を作ってしまうし、これってなんか変だな? と金融関係に
やつあたりしたくなります。
 あ、それから、犯人のみなさん……あなたたちのこれからの相手はもう僕じゃありません。警察ですからよろしく。
 僕はあなたたちの哀れな被害者にすぎません。
 では……、

突然ですが気を付けてください

気がつけば、ずいぶんごぶさたしてしまいました。申し訳ありません。まあ、なんとか元気です。
アニメ映画「ホッタラケの島」の「不思議の国のアリス」的要素のことを書こうと思っていたのですが、僕が「不思議の国のアリス」を意識的にパロディした作品以外にも、僕自身の書いたものの大部分に「不思議の国のアリス」的構図があることに気がつきました。……というか、忘れていたというか……(^_^;)御存じの方は少ないかもしれませんが、20年近く前に一年間ほど放送したアニメシリーズ「アイドル天使ようこそようこ」と言うアニメがあり、その企画意図には、渋谷の街を不思議の国に見立てて、そこをさまよう「ようこ」と「サキ」という二人の少女の話だと僕自身があるアニメ雑誌に明記していたんですね。おまけに最終2話のサブタイトルが「不思議の街のアリス」です。となると、そんな作品まである僕の視点から見た「ホッタラケの島」の感想は、他の人さまの作った「不思議の国のアリス」的要素への感想になり、これはかなり説明が難しい。
で、日常の些事に追われ、「ホッタラケの島」の感想が遅れ続けてしまいました。もう少し、感想をまとめる時間……まとまらないかもしれませんが……が必要な気がします。
それなのに、なぜ、唐突にブログを書いているかと言うと……ありふれているかもしれませんが、ある事件にあったからです。
同じ、文面に近いものを、アニメスタイルのコラムにも書きました。
以下……
世の中、色々なことが起きる。
気をつけろとは年中聞いていたがその日午前中に電話を使った「振り込み詐欺」に合い、そのやり方が従来と変わっていたらしく、パトカーで渋谷の警察署に連れて行かれて、五時間以上、犯人らしきグループの手口(少なくとも4・5人の気の合ったグループが必要です)を調べられました。
 「公共機関」の名を語った「詐欺」で、僕自身うすうす気がつきながら、それでいながら瞬間的に、ある程度の額が預金から消えました。
 そしていわゆる「詐欺」が成立してから、僕が通報するまで10分かかっていません。
 その金額が、僕にとっては、いささか微妙な額で、僕は、犯罪ものや推理物を書きませんが、物書きの性格上、「スマートな詐欺」の方法を考えたこともなんどもあり……もちろん実践はしませんが……そのやり方の範疇ではあったのですが、仕掛けが面倒くさいし、準備やお金もかかり時間もかかるので、まさか実行されるとは思っていなかったのがうかつでした。
 その手口を詳しく書いて、まねをされると困るので書きません。
 詐欺をしかけた人達は僕自身が忘れているような僕の個人情報を知っており、金融機関(銀行)のセキュリティーの甘さをかなり熟知し、「公共機関」の一般市民の対応の仕方も相当練習しているようです。
 僕が獲られた金額は、「詐欺の犯人グループ」の一人一人の苦労に値するか疑問なぐらいの額です。
 もっとも、日本中で同じことを、同時刻にやれば、チリも積もってかなりの額になるでしょうが、同時刻にやるには、それだけ人数が必要になります。「よくやるよ……」ちょっと負け惜しみぶくみですが、僕は悔しいより笑っちゃうしかありませんでした。
 手口自体は巧妙ですが、詐欺としての基本は簡単です。
 しかし、犯人グループからしたら、捕まるリスクもある犯行です。
 本当に「よくやるよ……」です。
 と、同時に、今の時代の不景気を実感しました。
警察への被害の届けとその調べは、長くても一時間ぐらいと思っていたのですが、五時間以上もかかりました。
警察の処置や銀行の処置は迅速でしたが、それでも、被害調査にそれだけの時間がかかりました。
で、おそらく、お金は戻ってこないでしょう。
 この事件、僕の寝不足のいささがぼーっとしていたうかつさが主原因ですが、インターネットでの買い物などによる個人情報漏洩……たとえば、昨年、僕が病院に払った医療費(本人も覚えていない)や僕の収入の動きが漏れているようなんですね……、銀行とクレジット会社の癒着ともいえるかもしれない関係、コンビニのATMが簡単に使えるなど金融機関のセキュリティの甘さも手伝っていると思います。……桁違いですが、アメリカのサブプライムローン問題やリーマンショックなど、目先の利益のために、セキュリティーがおろそかになったといえないこともない。 とはいえ、それを強く指摘し意識しセキュリティーを強化すると銀行預金の手続きが面倒で、銀行にお金を預ける人が少なくなり、今度は、銀行がつぶれかねません。
世の中の金回りが悪くなると、ますます世の中、不況になってしまいます。
 警察の方から、1度起こった事は2度ある可能性もあるので、家族、親せき、知人には、この「詐欺」が起こった事を伝え、注意を促してくださいといわれました。
 あくまで、僕の思いですが、ATM を使う時は、できるだけ小額にした方がいいと思います。
 で、御存じだと思いますがATMによる相手の口座への振り込みは現金では10万円が限度ですが、キャッシュカードからだと1日に100万から200万までが限度で可能だそうです。いまどき、わざわざ相手の口座にお金を振り込むのに現金をATMに入れる人がいるんでしょうか?
まあ、面倒で手数料もかかりますが、それぞれにとって大きいと思われる金額は、銀行の窓口を利用した方がよさそうです。
 キャッシュカードとクレジットカードが氾濫している現在、あらためてセキュリティーの甘さ、個人情報を守ることの難しさを感じます。

 この詐欺、うすうす感ずいていながら、結果、引っかかったのだから魔がさしたというか……自分で自分に呆れます。
 このブログをお読みの方もくれぐれもお気を付けください。
 このブログを書きながら、怒っていいのか、笑っていいのか、奇妙な気分です。
 では……

「ホッタラケの島」の感想のつもりが、ほったらけになっちゃった。

またまたごぶさたしてしまいました。
ここ半年ほどで見た映画で、いい意味ですごいなあとおもったのは、なんたってクリント・イーストウッド監督の「チェンジリング」と「グラントリノ」です。圧倒的なすごさです。
どこがすごいって、僕の歳からしても、おじいさんと言ってもおかしくない人が、こんな映画を監督していることです。人生を枯れた視点で見ていないことにあきれます。
「グラントリノ」など、老人の死に場所探しのように見えるストーリーなのですが、しっかりと、生きることを見つめた映画です。
 僕なんか、まだまだ若造……この監督の域に届く余地があるかもしれないと思うと、なんだか励まされたような気持ちになります。
おくりびと」だか「おくられびと」だか知らないが、あの手の映画にいやされて感動していちゃいけない気がします。
 で、あれやこれやと感想を書きたい映画がたまっていますが、このブログのコメント欄にアニメの「ホッタラケの島」についてどう思うかという問いかけがありましたので、とりあえず、そっちのほうの感想を書こうと思ったのですが、これが、難しい。
 今年の夏のアニメ映画では短編芸術派的なアニメを除けば「サマー・ウォーズ」「ホッタラケ……」そして、ほとんどのアニメファンは見ていないでしょうが「八月のシンフォニー」の三作が、それぞれ変わった意味で面白かった。
 なんとなく時代を反映したでしょうか?以前より前向きになったひきこもり少年のヒットロボットアニメは、アニメ技術的には頑張っているんでしょうが、これから予定調和なストーリー展開になりそうで、あまりピンとこなかった。まだ結末が見えていないので感想は差し控えます。
 さて、今回取り上げようとした「ホッタラケ」は要するに「不思議の国のアリス」日本版というより「ホッタラケ製作陣版」といった感じで、「不思議の国のアリス」の解釈アニメとして、こういう切り口があっていいとおもったアニメでした。
 そもそも、「不思議の国のアリス」は「間に合わない、間に合わない」と、何に間に合わないのか知らないが時計を持って焦って走っているウサギをなぜか追いかけ、なぜか穴に落ち、不条理にしか思えないいろいろなことに出会った少女が、我にかえれば、「あれは夢だったのか?」……でも、夢とばかりは言い切れないし……ってな話です。
 その何が何だかへんてこりんなところが魅力で、そこに色々な解釈ができ、世界中の人からなぜか気に入られている児童小説(といえるのかなあ?)で、いろいろな解釈ができるから、色々なクリエーターが
作品化しています。世界中の万人向けアニメを作るのが使命のようなディズニーが挑戦したアニメ化が有名ですが、やっぱり良く分からない賛否両論のアニメになってしまい、僕はあんまり感心できないアニメでした。ディズニーグループさん、懲りずに実写版をへんてこ映画大好き監督のティム・バートン監督で製作中で、来年5月公開予定、どんなアリスになるか、今から楽しみです。
つまり「不思議の国のアリス」という小説は誰がミュージカルにしようが(あの007の作曲家ジョン・バリーのミュージカルまであります。)、舞台劇にしようが、アニメにしようが、それぞれの作り手の解釈が楽しみなんです。実力派の役者もアリス以外の変な登場人物(動物?)を演じたがる傾向があります。
 日本語訳の小説だって翻訳者次第で違ってしまうようで、右に英語の原文、左に日本語の訳文が書かれた対訳本が、僕としては一番おすすめなんですが、そもそも、その英文が、本場の英国人ですら本当に理解できるのかどうかあてにならない困った英文らしいのです。
 で、「不思議の国のアリス」のジブリ式日本的解釈が、作り手がそれを意識しているか知りませんが
となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」なんだなと、僕は僭越にも思っているわけです。
 なにしろ、僕ですらそれぞれ解釈の違う「アリス」をずいぶん脚本にしています。
「まんが世界昔話版」から「ミンキーモモ」版アリス(これはオーディオドラマ)、僕のシリーズ構成したアニメには僕解釈版「アリス」が恒例のように出てきます。
 で、一部の人たちに、もっとも「アリス」の世界に近いとほめられたアニメもありまして、それ、実は、僕の解釈を入れず、僕が面白いと思ったエピソードをピックアップして並べただけのもので、僕自身、喜んでいいのか悪いのかわけのわからない始末です。
 僕が「アリス」の色々な解釈を語りだすと大論文になりそうで、「ホッタラケの島」の感想が文字通りほったらかしになってしまいそうですから「ホッタラケの島」における「アリス」解釈を考察?してみようと思います。しかし、ここまでで、ずいぶん長い文になってしまいました。
 今回はここまでで、次回にそれを書くことにして、とりあえず結論を言いますと、「アリス」のノンセンス展開をよく一つの話、一つのテーマにまとめた相当面白いアニメだと思います。
 こういうアニメが、商業ベースの長編アニメで出てきたことをうれしく思います。
 子供向きのつもりで実は作者のひとりよがりに思える大ヒットアニメとも違うようですし……ただ、観客サービスシーンが、少し多すぎるきもしますが、僕としてはお勧めのアニメです。
 あ、「サマー・ウォーズ」の面白さも僕は忘れていませんけれど……あっちも見たなら、こっちも見てくださいという感じです。
では……