首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

小津安二郎は好きだけど……

 舞台の芝居は、映画のようにフイルムに定着されて、いつでも同じと言うわけではない。上演する一回、一回が、その時の、観客や、役者のコンディションによって違い、台詞を変えたり、演出家によっては、演技を変更させる場合もある。上演される全ての回が、その時々によって違うといってもいい。
 初日の芝居と終日(らくび)の芝居が、まるで違う印象を与える場合も多い。
 だから、何十回やっても、全く同じに終わる芝居はない。
 二十年ほど前、僕の書いたミュージカルの主役をやってくれた女優に、久しぶりに会った。
 この人の演じる僕のミュージカルは、稽古の時から何十回も見ている。
 多分、その中で、最高の舞台を、僕は一回だけ見た。
 二十年近く昔の、京都でやったミュージカルの舞台である。
 千人近い観客がいた。、たった一人で舞台に立った彼女は、数分間、その観客を釘付けにした。
 劇場全体が、彼女一人に動かされていた。観客と彼女の演技が一体化していた。
 その瞬間に客席で立ち会った僕は、彼女の才能を確信する事にした。
 そんなミュージカルを書けた自分が誇らしくもあった。
 それから、二十年近く、また同じ人の、同じ舞台を何度も見たが、あの時以上の演技を見た事はない。
 才能のある役者のベストの時は、ある日、突然、訪れ、二度目は、いつ来るのか分からないものなのかもしれない。
 二十年近く年月が経ったが、久しぶりに会った時、瞬間、僕の目に浮かんだのは、あの日、あの時の、彼女だった。
 舞台の芝居は、その時々の一回こっきりというが、その一回が、鮮烈に残る時もある。
 だから、舞台は面白いのかもしれない。
               ×        ×
 日本の三大映画監督といえば、黒澤、溝口、小津、ということになっているらしい。木下恵介をいれないのはおかしいと言う声も、最近大きくなっているが、ともかくその三大監督の一人、小津安二郎を描いたドキュメント、「吉田喜重が語る小津安二郎」という作品を見た。
 NHKで放送されたものをつなげてDVDにしたものだ。三時間近い大長編である。
 小津安二郎については、語り尽くされている感があるので、ここでいまさら僕が言うことは何もない。「東京物語」はいい作品だと思うし、小津安二郎の作風も、僕が歳をとるほど、好ましく思えてくる。
 もともと僕は、若い頃から小津安二郎特有のローアングルのカメラポジションが好きだった。
 ただし「吉田喜重が語る小津安二郎」は、あくまで自分も監督である吉田喜重の見た小津安二郎で、その小津安二郎観を繰り返し聞かされると、いささかうんざりして来たのも事実だ。
 ドキュメンタリーは、純粋な記録ではなくて、作者の視点で見た創作物である。
 そんな事は分かっているが、あまりにも、吉田喜重の思いが表面に出てくると、ドキュメンタリーの感じがしなくなる。
 吉田喜重が監督小津安二郎とその作品を、愛している事は、とてもよくわかるのだが……過ぎたるはおよばざるが……というか、うっとおしいのである。