首藤剛志のふらふらファイル箱

人並みのつもりにしては、ふらふらしています。

昭和を懐かしむ本

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今日は、天気もいいこともあって、近くの公園に、軽い本を、持っていって読んだ。
 去年、「三丁目の夕日」という東京タワーが作られた頃の昭和時代をなつかしむ映画があって、評判になったが、残念ながら、映画を作っている人たちが、多分、その時代に、青春時代や子供時代を過ごしていないだろうこともあって……つまり作り手の年齢が若すぎて、あの時代の空気がうまく描かれていない……まるで、昭和時代の博物館の陳列品と、泣かせパターンのエピソードを並べただけのような、なんだかリアリティのない映画になっていた。
 あの映画に、ノスタルジーを感じる人がいたら、それは借り物……どこかで聞いた事のある昔話に懐かしさを感じるような、いわば実体験のないノスタルジーである。
 あの時代、子供だった僕には……どこか違う……どこか変だ……と感じながら、首をかしげながら見た映画だった。
 同世代の人に聞いても、「あれは、どこか違うよな……」と言う感想がおおかった。
 どこが違うのか、指摘するときりがないので、止めておくが、ともかく疑似ノスタルジー映画で、去年の映画賞を軒並み取るような傑作には思えなかった。
 昭和は遠くなったなあ……とため息すら出た。
 そんなわけで、公園で読んだ本は、その欲求不満を解決しようと思った訳でもないが、「ショージ君のALWAYS」東海林さだお氏の昭和懐かし本(集英社)である。
 東海林さだお氏は、四コママンガで有名な方だが、それ以上といっては失礼だが、文章が、ともかく上手い。
 僕などは、マンが以上に、エッセイ作家としての東海林さだお氏の方が、凄いと思っている。
 その人の書いた昭和なつかし本である。
 映画と違って、CGなんかを使った、疑似映像がないぶん、読み手の想像力をくすぐり、あれもあった……これもあった……と、やたら僕のノスタルジーをくすぐり、楽しかった。
 映像より、文章や、時々、挿入されるマンガ風挿し絵の方が、リアリティがあるのである。
 昭和時代を懐かしむ本が、最近、増えているが、気楽に読める本としては、この他にも、赤瀬川原平氏の「私の昭和の終り史」(河出書房新社)……小林信彦氏の「昭和のまぼろし」(文藝春秋)などがおすすめである。
 なぜ、僕が昭和にこだわるかというと、僕自身の少年期と青春期を過ごした昭和の戦後という時代を、いつかまとめてみたいと思っているからである。……いつになるかは分からないが、資料だけは目の届く限りそろえている……